飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

タグ:旅行

さてデンマークのヘルシンガーと対岸、スエーデンのヘルシンボグは目と鼻の先フェリーで30分位です。
 
当時は未だEU統一前だったのでイミグレはあったでしょうが記憶からすっぽ抜けています。
 
船内に免税店が会ったのは何故か記憶にありますが、特に免税品は購入はしていません。
 
イメージ 1
 
近くの岸壁にはデンマーク海軍のフネが停泊していましたが、残念ながらヘリは見当たりませんでした。
 
イメージ 2
 
出航すると左手、北の岬の方にお城が見えて来ました、当時は判らなかったのですが、クーロンボー城で、
 
ロメオとジュリエットの舞台になったお城だそうです。
 
イメージ 5
 
この海峡はかなりの頻度でフェリーが往復していました。まもなく対岸に接近しています。
 
イメージ 3
 
防波堤の先端にはスエーデンの国旗が翻っていました、当然ですね。日本の港にはあったかな。
 
イメージ 4
埠頭の近くには時代物の建物、昔の燈台らしきものがありました。この頃にはレーダー施設に変わっていたよう
 
ですね。
 
イメージ 6
 
あっという間に海を渡り、スエーデンに無事到着しました。日本のフェリー乗り場はほとんどが辺鄙な場所に
 
ありますがこういう市街地の一画にあるのは徒歩の旅行者にも便利ですね。
 
なおデンマークのヘルシンガーもコペンハーゲンから列車で来られるので便利です。
 
イメージ 7
 
この後車で下船、高速道路で一路ハルムスタッド基地を目指しました。
 
途中すれ違う車は皆ヘッドライトを付けていたので疑問に思っていましたが、後で聞いたところ、車が走っている
 
状態では点灯義務があることを知りました。
 
同行者がいなかったので片手運転でパチリ、もう時効ですが、真似はしないでくださいね。
 
イメージ 8

1984年8月は欧州の旅へ。
 
この時はスイス空軍の演習を兼ねた基地公開でデューベンドルフとスエーデンのウプサラへ行く予定でした。
 
しかし、デューベンドルフであちらのマニアと話をしていたら日曜日にスエーデン西部のハルムスタッドで
 
基地公開があるという話を聞き、急遽そちらへ行こうと計画変更しました。
 
しかし月曜日はウプサラへの取材申請をしていてOKをもらっていたので思案しました。
 
そこで滞在していたチューリッヒのホテルからストックホルムの空軍省の広報担当者に電話をかけましたが、
 
なかなかつかまりません。
 
何回かかけ直してやっとつかまえて交渉、取材先を目的のドラケンのいるハルムスタッド近くのエンゲルホルム
 
に変更してもらいました。簡単に応じて貰えたのは翌日になってから判りました。
 
チューリッヒからのルートはコペンハーゲンへ飛び、車を借りて海峡を渡り、ハルムスタッドへ行くというもの
 
でした。
 
土曜日の午前はデューベンドルフで撮影後、チューリッヒ空港へ、レンターカー返却ついでにコペンハーゲンで
 
の予約を入れ空港でSASにチェックイン。
 
夜8時頃のフライトだったのがメンテで1時間程遅れるとのアナウンスがあり、これはヤバイとゲートの
 
オネーサンに斯く斯く然々でレンタカーの予約を入れているのでコペンの営業所に連絡をして頂戴と頼見ました。
 
乗った機体はDCー9ー10、シリーズで一番短い機体でしたね。
 
コペンへ着いたのは現地時間で0時頃、レンタカーは私の頼んだ会社だけポツンと明かりをつけてちゃんと
 
待っていてくれました。遅れてもちゃんとフォローしてくれるSASは立派ですね。
 
この時は隣に座ったオジさんはコネクションで北の方へ行くとか言ってましたがこちらも接続便が遅れて待機
 
していて到着後何便か係員が各方面の乗客をフォローしていました。
 
ついでにSASのカウンターにいたオジさん、東京に勤務したことがあるよとカタコトの日本語を話すのを幸いに
 
空港近くのホテルを紹介してもらい、なんとか宿にチェックイン、カーナビも無い時代によく行けたものだと今
 
思えばかなり無鉄砲な行動でしたね。
 
さて翌日は6時頃にはホテルを出発、フェリー乗り場のあるヘルシンガーへ、約1時間ほどで着いたと思います。
 
幸いにも待ち時間なしでフェリーに乗れました。
 
 
 
 
 

金門路線はかなり混んでいて、本来ならば夕方の台中行きに乗りたかったのですが、空いていたのは朝一の
 
台北行きでした。
 
という事で朝宿から空港へ7時半発の路線バス3の空港経由山外行きに乗りました。
 
20分ほどで空港へ到着、チェックイン、チェックインカウンターのエプロン側からは色付きガラスですが、こんな
 
感じで撮れます。デジだったら修正できるので冷房完備のこの場所は楽ですね。
 
イメージ 1
 
この後貨物地区を再訪問、立栄航空の新塗装、これが台北行きかな?
 
イメージ 2
 
その後は出発ゲートへ、3番目が台北行き、先ほどのMDー90は台中行きでした。
 
イメージ 3
 
朝の台中行き出発ロビーはガラガラ、台北行きはほぼ満席でした。
 
イメージ 4
 
台北行きのMDー90は来た時と同じ機体、昨日も見かけたので金門専用機かも?
 
イメージ 5
 
ギャレーは中途半端な位置にありました、飲み物のサービスが有りました。
 
イメージ 6
 
離陸後は澎湖島経由のコリードーで本島の西海岸へ、斜め前方に台湾山脈が見えます。
 
イメージ 7
 
この後本島の西海岸沿いに北へ、桃園空港の東側を高速1号線沿いに北上松山空港へ着陸しました。
 
到着後は台北101へ向かいました。

午後7時前に金城車站に到着後、宿へ向かう途中暗くなりかけていましたが、観光名所が未だ開いていたので
 
ちょっと立ち寄りました。
 
金門鎭総兵署、昔の軍の駐屯地の様です。
 
イメージ 1
 
中へ入ると薄暗いですが、未だ観光客の姿が見えました。
 
イメージ 2
 
マングローブ系統らしき大木からは空中から水分を補給するという気根が垂れ下がっています。
 
イメージ 3
 
こちらの部屋は裁判所?
 
イメージ 4
 
地下への入口には当時使われたと思われる武具が展示されていました。
 
淸代律法と書いてあるところを見ると淸朝時代だったのでしょうね。
 
イメージ 5
 
地下は地下牢になっていて、リアルに再現されています。
 
イメージ 6
この後混んでいた海鮮食堂へ行ったのですが、料金はかなり高め、80元の安めの野戦海鮮麺というのを
 
頼んだら、麺はインスタントラーメンというオチがつきました。
 
後で考えたらなるほどねでした。(笑)

旅游服務中心で一応近くに観光名所はと聞いたところ、東の方へ15分ほど行くと大湖という湖があるというので
 
行ってみることにしました。
 
車站の前の道路、復興路を東へ歩きます。
 
イメージ 1
 
途中、台湾銀行の角に道路案内標識が有りました。
 
イメージ 2
 
建物の閒に尚義空港から離陸した飛行機が見えます。
 
イメージ 3
 
この場違いな大きな建物にはEVERRICHの文字が描いてありましたが?帰ってから調べて見ると免税店で
 
アジア地区では最大規模だそうです。
 
イメージ 4
 
この河沿いに歩いて行きましたが、行き止まりだったので引換しました。
 
この橋は自強路、橋を渡って南へ行くとお寺、護国寺というのが有りました。日本にある護国寺との関係はある
 
のか不明です。
 
イメージ 5
 
この後車站へ戻り、18時半発の金城行きの紅1線でRTBしました。
 
この時間になると車站も閑散としていました。
 
イメージ 6

↑このページのトップヘ