飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、三沢

 一時はPCがウイルスに侵されて暴走したが隙を見て何とかスキャン出来たので、Gulf4さんからのリクエストで1970年9月27日の基地公開から。
 当時は米軍三沢基地だったので主役は空軍機だがゲストで自衛隊機も何機か展示され、ハチロクブルーも演技を見せてくれた。
 主役の米軍機で展示されたのは地元のUDのF-4D、UEのRF-4Cと岩国から移動訓練に来ていたEDのA-6Eが最近は屋台が並ぶハンガーの間に展示されただけという寂しさだった。

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 撮影が遅くなって尾翼が陰ってしまった。475TFWの司令官機で391TFS(UD黄)、356(UK緑)、67(UP赤)、16TRS(UE青)のユニットカラーがラダー上部に塗られている。 

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 1970年9月28日、三沢公開の翌日は当時転がりが撮れる唯一の場所へ。
今は入れなくなってしまったが、民間ターミナルが出来る前はアラートハンガー前のエプロンゲートの西側の角でフェンス越しに撮影する事が出来た。
 事前に横田でマニアから撮れるらしいと聞いていたので行って見たが、マニアの姿は見えなかった。
目の前のアラートハンガーの扉が開いてWU ”VMFA-334” のF-4Jが出て来た時には正直驚いてしまった。スパロー、サイドワインダーのフル装備だったからね。当時の三沢の米空軍はF-4DとRF-4Cが配備されていたがスクランブルに対応する戦闘機は居なかったので岩国から派遣されていたようだ。
 この時はスクランブルでは無かった様で風向きに従って09で上がった。
此処では後日談があるが30日なのでまたの機会に。

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 1982年1月、雪の反射を期待して三沢へ行ったが期待に反して雪は無かった。
当時はマニアの姿を見かけることは無く、一人、着陸コース近くの撮影ポイントの枯れ草の茂みへ。
 そこへ思いがけないファントムの姿、301、305、303、306飛行隊の前年の戦競塗装機だった。百里、小松で撮影したが、まさかこんな所へ来ていたとは夢にも思わなかった。5空団と7空団の対戦だったのだろうか。
 301,305はかなり濃い目の青みがかった灰色、303は明るい青みがかった灰色、306は独特の濃い青と灰色の境目がハッキリした迷彩塗装だった。

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今日は2月1日、今年になってから早くも1月が過ぎました。まさに光陰矢の如しです。
2月1日にちなんだ飛行機と言えばまずは201飛行隊。
現在はFー15ですが、1963年3月5日、Fー104の導入に伴い千歳基地で201飛行隊が創設されました。
その後Fー4導入に伴い、302飛行隊が新編され、1974年10月1日に解隊されましたが、Fー15導入に伴い1986年3月19日に復活しました。
1970年の三沢航空祭には展示機として646号機が三沢に飛来しています。
 
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機番201はFー1の初号機ですが、実空には配備されることは無く、最後まで実戦部隊所属だったようです。
画像は1994年の戦競には8飛行隊所属で参加しました。
 
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