飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: YS-11

今日のYSー11はミッドパシフィックへ売却されたN107MP。
1985年3月24日、全日空整備で売却整備完了時。
この機体はJA8661として全日空へ引き渡された後、1977年4月にフィリピンへ売却
され、その後はミッドパシフィックへ売却。
整備の為に大阪国際空港に隣接の前ニック整備に飛来して整備作業を実施、1985年4月26日に再度のご奉公に米国に出発しました。
撮影したのは全日空整備の敷地内に植樹され撮影出来無くなったので電柱によじ登って撮った記憶があります。
 
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JA8782は1972年2月15日、全日空へリースされました。
その後1978年7月下旬にリースバックの為全日空整備で返却整備が行われ、出て来た時には尾翼に海保のマークと胴体は塗装前の下地のみ黄色い下塗り塗装という中途半端な塗装で出て来ました。
この塗装で飛んだのは8月14日のテストフライトと8月25日の名古屋へのフェリーフライトだけというチャンスは二度しか無かったようです。
当時の伊丹では常連マニアはごく少なかったので撮影出来た人も限られたことでしょう、中途半端な塗装なので私はあまり好きではありませんが、記録の一旦として紹介します。
 
1978年2月伊丹、千里川32Lエンド。
 
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1978年8月14日、伊丹千里川32Lエンド。
 
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1970年2月15日の入間基地は休日でフライトは無かったはずですが、飛行場地区からはロールスロイスダートの金属音が繰り返し聞こえて来ました。
暇を持て余していた私は、早速カメラを担いでチャリンコで飛行場へ。
そこでタッチアンドゴーを繰り返していたのは日の丸マークのYSー11では無く、
全日空のモヒカンブルーのYSー11でした。
最近調べたらこのJA8671は2月2日にデリバリーされたばかり、導入初期でもないので単なるパイロットの訓練飛行だったようです。
 
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この頃は横田基地でもBー727のタッチアンドゴー訓練を見かけました。
又入間基地は横田基地が近いせいか星マークのTー33やTー39がよくタッチアンドゴーに来ていました。

1971年11月3日の空自小牧基地、国際航空宇宙ショーが開かれました。
当時は既にYSー11は路線就航していましたが、制作していた三菱小牧工場が地元とあってYSー11の1号機がデモフライトを見せてくれました。
午後からと光線状態も悪く、離陸後も空港側へ捻って会場側はお腹のオンパレード、良い画像は撮れず終いでした。
おまけにフィルムの劣化が激しくコントラストも低下しています。
空港側には全日空のYSー11が見えます。
 
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こちらは着陸では無くギアダウンローパスです。最近はこんな低いローパスはやってくれません。
 
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今日はYSー11昔話。
1984年8月2日の鹿児島空港で撮影したJA8660、伊丹空港からの鹿児島空港到着時に541便(B747SR、機番不明)からの撮影。
 
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目的はその奥にいたBAE146、この日は鹿児島でのローカルデモフライトと奄美大島までのデモフライトが有りました。
という事で私は奄美大島迄追っかけ、隣のYSー11がその時の乗機でした。
当時このYSー11は鹿児島ー奄美ー那覇路線への貼り付け、鹿児島に夜間駐機していました。
奄美大島でのBAE146の離着陸を撮影後に鹿児島経由で伊丹へ帰るべく、搭乗案内を見ると遅れの表示が出ていました。
これはへたをすると鹿児島で最終便に乗り継ぎができないかもしれない、翌日は出勤だし困ったなと思いました。
そこでダメもとで近くにいたデモフライトの関係者に便乗をお願いしたところ、なんとかOKをもらい、鹿児島空港までちゃっかり便乗しちゃいました。
その後日本の航空会社では採用されず、台湾の馬公航空での運行も短かった事もあり唯一の搭乗機会でした。
おかげで鹿児島からの伊丹行き最終便にはしっかりと間に合いました。
なおこの日は急遽同僚の中村さんに休みを変更してもらっての追っかけ、有難うございました。
 

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