飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、カナダ

今から40年前の1980年、友人と3人でカナダ西海岸のアボッツフォードエアショーへ。
行ったついでにと運転手役の私はレンタカーをバンクーバーで借りて、フェリーでバンクーバー島へ渡った。
後から来た2人はちゃっかりとコモックス空港で待っていた、まあ当時は若かったから文句も出なかったけどね。
コモックスは空軍基地、今となっては知る人も少なくなったがブードーやアーガスを撮る事が出来た。
本来の目的はスノーバーズの公開に行ったのだが、実際に飛んだのは基地から離れた海岸だった。
こちらは昼前に終わったので、帰りがけの駄賃に未だ現役で飛んでいるというレシプロの大型飛行艇を撮りに行こうということになり、ポートアルバニーのFIFTへ。
現地へ着いたら水上に浮かんでいる、マーチンマースを見る事が出来た。ラッキーなことには待っていたらもう1機が何処かから戻ってきた。
事務所へ行って色々と話しを聞いていると、スタンバイしていた機体の戸締りに行くので同行しないかと誘われ、
勿論付いて行って機内をしっかりと見学してきた。
今は会社名が変わったが同じ場所で1機だけ残っていて運用しているようだ、機会があれば再訪してみたい。

C-FLYL、Hawaii Mars

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C-FLYK、Philipine Mars

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昨日と同じくアボッツフォードの航空ショーで撮影したS2Eの改造型、ニックネームはファイアーキャット。訪れた1986年はB-26から機体を更新されて新鋭機だったが、コンエアーのHPを見たら色々と機種が増えて、BAE146やQ400と多種多様になっていた。
もう30数年も過ぎていたら浦島太郎状態、レシプロエンジンでは整備や燃料に金がかかりすぎて採算が合わないのだろう。

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S2Fつながりで1886年、カナダのアボッツフォードで撮ったカナダ国防軍(当時は陸海空の三軍が統一されて名称が変更になったと聞いた)のS2F、既に対潜任務から外れて輸送任務に従事していたらしい。
我が軍でも統合運用されれば経費削減に大幅に寄与すると思われるけど、ポストが少なくなるので残念ながら反対する人が出てくるだろうね。

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おまけは我が海自のS2F-1、1978年5月28日の下総基地で。

下総197805280001_R


 昨日に続いて今日はCL215の後継機、CL415。
こちらの飛行機は22年後の1996年に日本へデモフライトに飛来していました。
私は東京江東区の新木場でしか撮影のチャンスは無かったけど伊丹を始め全国ツアーをしたようです。この時の塗総は白い機体に黒か紺色の渕の赤帯だったように記憶しています。この時も軽快な飛行を見せてくれました。

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 前回は当時参議院議員の某元空幕長の横槍により採用に至らなかったようですがこの時も結局採用に至りませんでした。
 この時に採用していれば先月発生した魚沼の大火やっその他の火災災害に活躍したものと思われます。1年前の1995年に起きた阪神大震災の教訓が生かされなかったとは残念というより行政者の怠慢と言えるでしょう。
 US-2改では初期費用、運用コストを考えると現実的ではないでしょう。
もっとも海自が運用主体者になれば話は別ですがね。

 昨年記事にした消火機(消防飛行艇)のCL215、1974年にデモフライトで来日した時の画像が発掘出来たので紹介します。
 この時は消防庁が購入を検討して当時のカナデア社代理店、野崎産業が企画したようです。10月9日の旧水戸射爆場、泉佐野、福岡、札幌と各地をツアーした様ですが、私が行ったのは水戸と泉佐野でした。
 画像は泉佐野の海岸、CL215は徳島からのリモート、肝心の放水シーンが見当たらない、別のネガにありそう。
 天気は良くなかったもののターンする際には背中バックリの軽快な動きを見せてくれました。
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