飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、F-4

今日は何の日、305飛行隊です。
305飛行隊は百里基地の第7航空団、前身の206飛行隊がマルヨンの機種改変によりFー4で305飛行隊として1978年12月1日に新編されました。
部隊マークは日の丸より小さくという事で206飛行隊の梅だけを引き継ぎました。
1979年には戦競のフェイカーとして胴体後部のライトブルーの帯を巻いた機体が出現しました。
 
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1983年の戦競ではダークブルーの雲形迷彩で出場。
 
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1991年10月には空自ファントム20周年記念塗装が出現しましたが、飛んでる姿を見た記憶が有りません。
 
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同じ年の10月3日、世間は文化の日でお休みでしたが、空自は秋の総演真っ最中、ランウエイエンドでは204飛行隊と前進待機中。
 
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1992年の戦競はファントムでの最後の参加、綺麗な迷彩塗装で参加、優勝したと聞きました。
隊長のTACネームは”コブラ”、怖そうなネームですね。日の丸後方にはFー1の赤いシルエット、3機描いてあるのは第2編隊長の様です。
 
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おまけの画像は撮影日不明です。
 
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今日は何の日シリーズ、304飛行隊です。
304飛行隊は築城基地の第8航空団、1977年8月1日にハチロクの10飛行隊の
解散に伴いFー4で新編されました。部隊マークは近くの英彦山に棲むという天狗を
モチーフしています。
1979年12月に訪れた際には通常塗装以外に、戦競に参加した胴体後部に黄色の帯を巻いた機体が撮れました。
 
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1981年11月の航空祭には戦競参加のライトブルーグレイと青の迷彩?の機体が
海側エンドに並んでいました。
 
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1984年新田原を訪れた際にはこの年の戦競塗装機が来ていました。
 
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1986年の戦競は百里基地で開催、この時は射撃大会でしたが、毎年恒例の総演の為に各飛行隊でロービジ塗装の研究が行われ、機首番号、日の丸、部隊マーク等が小さくなり、またオーバースプレイされた機体が多数見られました。
 
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こちらの機体342は標的、ダートシップでした。
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今日は何の日シリーズ第3弾、3月3日は303飛行隊。
小松基地の第6航空団、205飛行隊のシスタースコードロンとして、ハチロクを運用していた第4飛行隊の解散に伴い、Fー4を装備して1976年10月26日に303飛行隊として創設されました。
部隊マークは6空団共通、6に石川県をモチーフにしたもの、後に205飛行隊が機種改変で306飛行隊が出来てからは飛行隊別に変更され、ドラゴンになりました。
 
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1980年11月の戦競には晴天用の黒い迷彩、こちらは訓練段階では空自初のシャークマウス描いていましたが、あまりにも派手だった為か競技会では消されて参加しました。
 
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グレー迷彩は曇天用だったと聞いています。千歳にて撮影。
 
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1985年11月千歳で開催された戦競には新しいドラゴンマーク、シャークマウスで参加しました。
 
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おっと3月3日はサンサンの日でもありますね。
6空団の飛行隊は機種で飛行隊を判別出来ましたが、サンサンは区別が出来ないため205飛行隊がインテーク後方に旧205飛行隊マークを描いていました。
という事でインテーク後方にマークが描いてない方が303飛行隊です。
 
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1984年2月26日の関東地方は大雪でした。
翌日はピーカンの青空、途中雪道に不安はあったものの百里へ雪の反射を狙いに出かけました。
なんということでしょう、今のように情報がない時代、胴体に薄緑色のペイントをした
ファントムが転がって来たではありませんか。
最初は何がなんだか判りませんでしたが、機首付近を見ると、ミグ21のノーズの
シルエットでした。
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転がりを撮って着陸へ急ぎましたが、雪晴れ特有の蒸発した水分が薄雲を作り出し、雪の反射はあったもののイマイチの結果でした。
下面はミグ21のシルエット、上面はどうなっていたのでしょうか、気になります。
 
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このミグもどきには4月に百里を訪問した際にも飛んでくれました。
エアインテークから後ろが塗装されていないのは何か理由があるのでしょうが中途半端な感じがします。
 
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この機体は新田原へ301飛行隊が移動後もしばらくはこの塗装で飛んでいたようですね。

1984年の2月は関東地方もかなりの雪が降り、翌日にもかなり消えずに残っていました。
 
こういった時は飛行機マニアにとっては千載一遇のチャンスですが、おいそれとは飛行場へいけないのが
 
サラリーマンの辛いところでしたね。
 
私は土日関係無いシフト勤務だったので休みが当たればラッキーとばかりに出かけたものでした。
 
転がりはタクシーウエイが除雪してあるのでレフ効果は期待できませんでしたが、着陸は積もった雪に太陽の光
 
が反射して下面に影が出来ず普段とは違った画像が撮れました。
 
当時高速用のガン射撃の標的にしたのはバルサ材のアルミを貼ったダートターゲット、最初の頃は飛行場迄
 
持ち帰り、場内に切り落として弾痕を数えたそうですがその内ガンカメラの精度が上がったのか海上投棄に
 
なったようです。
 
なお当時の空自のFー4では空対空ミサイルはファルコンを使用、内側パイロンの発射レール形状がサイド
 
ワインダーを装備する現在とは違いますね。
 
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