飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、米国軍用機

 馬関連の飛行機といえばOVー10”ブロンコは外せないだろう。ブロンコはアメリカ西部に生息する野生馬との事だが私は見たことがない。見たことが有るのほ飛行機のほうだけ。普天間にマリンコが駐留していて厚木ではよく見かけたが、空軍のほうは韓国烏山基地だったので見る機会は少なかった。
 1976年10月4日の三沢基地航空祭に展示された機体、翌日厚木基地へ行ったら普天間へ帰る途中かVMOー6の機体が降りて来た。バイセンティニアル塗装。

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 1980年5月29日の嘉手納、マリンコ。

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 同じ日に降りて来た空軍、51CW、19TAASのブロンコ。

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 1981年5月21日の嘉手納、通称NAVYエプロンに並ぶマリンコのブロンコ。

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 1981年12月20日に降りて来たノーマークのエアクラフトグレイ塗装の空軍機。

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 1985年10月4日の三沢基地航空祭に展示された韓国烏山基地、19TASSのブロンコ。

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 今日スキャンした中に再度WTのFー4Jが出て来た。ネガに日付けが書いていなくてはっきりしないが1970年頃のはずだ。
 こちらの機体は胴体にデビルのマークが入っているので初期の塗装だろう。

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 こちらの機体はデビルマークが尾翼に移っていてノーズナンバーとテイルレターの黒文字に赤いシャドーがついている。昨日の塗装が2番目でこちらは3番目の塗装と思われる。

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 胴体の部隊名の後ろにには飛行隊長の名前が書いてある。撮っている当時は気づかず今回初めて判った。通常2機で飛来するがこの時は単機で飛来、1時間ほどで帰って行った。

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 WUのFー4Jが岩国に駐留していた頃にWT(VMFAー232)のFー4Jが同じく岩国に駐留していて週末にはクロスカントリーで横田に姿を見せていた。厚木にはあまり姿を見せず厚木マニアを悔しがらせたそうだ。WUは早々と解散してしまったがWTはFAー18に機種変換されて生き長らえているが果たしてFー35への機種変換はされるのだろうか。
 画像は1971年7月の横田の南側国有地から。

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 普通はこの辺でラストチャンスのチェックをするのだが、この時はエプロンで済ませたようだ。

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 エンド迄行かずインターセクションから離陸。

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 ネガの続きにまたもやWANTEDが有った。左から2人目は今は亡き電電公社勤務のK氏だと思うが左端の腰に手拭いを下げた人には記憶がない。しゃがんでいる3人目にも心当たりが無い。右側の少年グループももう70近い年頃だ。

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 1970年9月27日は三沢航空祭だった。
横田に入り浸りだったが、横田には三沢からファントムが頻繁に外来で来ていたので、航空祭の話を聞きついでに休暇をとって出かけて来た。
  当時の三沢には空自の飛行隊はおらず、北空司令部が有るだけで展示機も201飛行隊のFー104Jとハチロクブルーと寂しいものだった。
 28日は八戸に3飛行隊にいた高校の同級生を訪ね、29日は三沢に戻ってアラートハンガー前のフェンスの角で転がりを撮っていた。その内アラートハンガーの扉が跳ね上がり出て来たのが、WU(VMFAー334)のFー4Jだった。増槽に隠れて良く見えないがAIMー7とAIMー9を4発ずつ装備していた。
 地元三沢のFー4はRFー4CとFー4Dで対空ミッションには適さないので岩国かアラート待機に来ていたらしい。北朝鮮のプエブロ号拿捕事件に対応した処置だったようだ。この時は飛ぶ事は飛んだが虫干し飛行かスクランブルでは無かったようだ。
 横田と違って三沢は当時は辺鄙なところでマニアなんて他におらず、一人で喜んでいたがこのあとまさかの出来事で撮影は中断されてしまった。まあネガは無事に持ち帰る事が出来たので笑い話で済んでしまったが。
 本来アラートハンガーの画像は遠慮するところだが、半世紀前なので公開しても差し支えないだろう。

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 1975年3月、同期入社のK君とF君の3人で話がまとまりハワイ観光に出かけた。と言っても私は航空機撮影がメインで刊行したのはマウイ島だけだった様に記憶している。
 せっかく行ったのでハワイ島のヒロ空港迄足を延ばしたが、運が悪く曇り空だった。そんな中撮れたのがAFSCのCー130だった。最近友人のブログにシリアルは違うが似た機体が紹介されたが説明ではJCー130Bらしい。ウイキペディアによるとJCー130はジェミニ計画の着水した機体を空中から回収するための機材を胴体後部に装備しているらしい。
 私の推測では背中の大型アンテナで西海岸から発射された弾道ミサイルの追跡調査を行っていたのではないかと思うが真相は?

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