飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、小牧

 今から44年前の1977年の小牧では第3航空団第8飛行隊が所在して元気に飛んでいた。
この飛行隊はF-86Dの退役に伴い、1968年に岩国から引っ越してきている。
 その後3空団は三沢に移転、八戸からの第3飛行隊と共に真の航空団になった。
ハチロクの愛称で親まれたF-86Fは機体は今どきの戦闘機に比べると小さく撮りやすくは無かったが、小牧は地形上三菱の北側は比較的離陸姿が撮りやすかった。また岐阜が近かったので掛け持ちで撮影する事も多かった。

小牧1977AUG0023_R

小牧1977AUG0013_R

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 今日も機嫌の悪いスキャナーをだましながらスキャンに精を出していて、ふと思いついてついでに1971年の名古屋航空宇宙ショーのブルーエンジェルスをスキャン。機嫌が悪くてこちらは4枚でアウト。
 撮影日付は10月29日、カレンダーで調べると金曜日。休暇を取って名古屋へ行っていたようです。
 この日は予行だったのかな、7番機が他の機番の代役を務めたようです。パイロットの乗り降りには外部ステップを使わなかったですね。A-4は流石に専用のステップが有りましたがFA-18は内臓式を使っています。
 それに比べて我がBIの外部ステップの見てくれの悪さ、何とかならないでしょうか?

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某ブログでBAの考察をしているブロ友さん、少しは参考になりましたか。

この日は空自が購入したFー4Eの1号機と2号機が小牧へフェリーされて来るというので新幹線で名古屋へ向かいました。
天候は生憎の曇り空でした。
小牧基地のBOPSへ顔を出し情報収集、話をしているうちにこのまま滑走路が南風
運用ならばTWRから指示を出し東側(空自側)の誘導路を転がらせるとの嬉しい配慮がありましたが、降りてくる前になって無情にも滑走路は北風運用になってしまいました。他にマニアは居らず転がりは独り占めと思っていたのにね。
今更滑走路のタッチダウンポイント迄行くのも面倒と結局BOPS前からの撮影になってしまいました。
この日は各4枚ずつと全日空のBー727とFー27を計12枚撮っただけと採算の合わない小牧遠征でした。
 
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先週は百里での共同訓練で一時中断したBA,最後にダイアモンドフォーメーション。

昔からBAのフォーメーションのタイトさには評判がありますね。

翼と翼が重なっているという事ですが未だ確かめていません。

戦時中にはエンジンの調子が悪い戦闘機を両脇から2機で主翼を持ち上げるようにして帰って来たというような話を聞いた事が有りますが、主翼どうしが接触しない程度に重なった場合は上側の機体は持ち上げられるような感じになるのでしょうか、疑問です。

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今日は予報も悪く、朝南の空を見ても曇り空だったので百里はパスして、残っていたハルサーの続きをやりました。

という事でブルーエンジェルを続けます。

ソロは5,6番機が担当、低空をガンガン駆け抜けて行き、マニュアルではピントが追いつけません。しかも250分の1では手ぶれ量産でした。

何とか見られる画像です。

我が空自のT-2に比べても機体の大きさやごつさが違い迫力満点でした。
当時の空自は未だハチロクでしたが。

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