飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

カテゴリ: 昔の写真、米国民間機

 今日は10月10日なので日付けにちなんでDCー10を。
11975年3月、同期入社の2人、S君とK君の3人でハワイ旅行に出かけたが、老人は飛行場にへばりついて観光もせずに写真撮影に没頭した。今は殆ど見かけなくなってしまったDCー10も49年前の当時は新鋭機として、DC-8やB707に代わって見かけるようになってきた。その頃のホノルル空港はリーフランウエイは未だ存在せずランウエイ10から離陸する際は市街地への騒音を避けるために離陸後大きく右旋回する機体が多かった。そんな中でもウエスタン航空やコンチネンタル航空はギアアップをしながら豪快な捻りを見せてくれた記憶が鮮明に残っている。本当は青空をバックに晴天で撮影したかったのだが雲がかかってしまう場合が多かったのは返す返すも残念だ。
 昔の羽田空港でも33Rを離陸する際には同じような離陸を見せてくれていた。さあフィルムを探そう。

IMAG0050_R

IMAG0051_R

 ウエスタン航空は晴れたのだがカラーで撮らなかったのが悔やまれる。

IMAG0617_R

IMAG0618_R

IMAG0619_R

























 ハワイ島ヒロ空港と違ってホノルルでは晴天だった。
前年ホノルルへ行った友人の話ではFー102が飛んでいたというが半信半疑で行って見たらハワイANGの機体が飛んでいて感激した。横田では展示された機体しか見ていないので、Fー102が飛んでいる姿を見たのはこの時が最初で最後になった。

IMAG0841_R

 Tー33もジャミングポッドを付けてフェイカーミッション。

IMAG0840_R

 更に驚いたのはBー47が飛んでいた事、しかもNAVYの所属だった。

IMAG0843_R














 1月6日はF-106。
F-106はその任務上海外展開することは稀だった。唯一の例外がプエブロ号事件で韓国へ展開した事だろう。
 日本へはその期間でCAP中にエマーで降りたのか横田への飛来だった。平日だったので撮影できたマニアは極少なかった。
 何時かは撮りたいと思っていたが1980年にウイリアムテルに誘われ念願が果たせた。

WT80-10007_R

異機種編隊でF-101とローアプローチ。

WT80-10002_R

おまけにそのF-101の転がり。

WT80-10011_R









 この公園で様子を見ていたら海風なので着陸する機体がバッチリ。
しかしマニアも居ないし、撮影している人も見当たらない、幸いシェリフの職質もなく撮影終了。
 嬉しかった赤いファントム、QF-4B。

PTMAGU197702250004_R

 PMTC,通常塗装。

PTMAGU197702250002_R

 日本ではお目にかかれなくなってしまったEC-121。

PTMAGU197702250020_R

 残念ながら興奮して手振れしてしまったS-2E、証拠写真だが。

PTMAGU197702250014_R




 

 今日は何の日の続き、1973年に始めて行った米国、2回目は1977年に単独行動、色々あったけど無事に帰国、往復は今は無きPAAだった記憶が。
 1973年7月、サンディエゴからロス経由でオンタリオ空港へ、スポットにはイースタン航空のB727がいた。この時は空禅一如さんと一緒にチノまで行ったがたいした収穫は無かった。反対側のANGのエプロンにはF102の列線が見えたので往復1時間ほど歩いたのを思い出す。

イメージ 2

 1977年、初の単独西海岸ツアーに、レンタカーを借りたが事前に沖縄で右側通行の練習をしてから出発、アリゾナのユマまで往復した。
 ロスでのUA新塗装のB727。

イメージ 3

 サンデイゴのAAのB727。

イメージ 4

 同じくPSAのB727、A社では何機かのB727をリースしていた、Nナンバーで最後2桁はPS。

イメージ 5

 同じくコンチネンタルのB727-200、コンチは今のUA塗装よりも断然こちらの方が似合っている。

イメージ 1


↑このページのトップヘ