飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、岐阜

このところ昔のポジをひっくり返していたら岐阜で撮ったT2改造のCCVが出てきたのでまとめてスキャンをした。
CCVは三菱の小牧で改造、1983年8月9日に初飛行。しばらく小牧でフライトをした後、岐阜へフェリーされた。
その後この機体をお目当てに何回か岐阜へ通ったが幸運にも3回ほど撮る事が出来た。
最初は1985年1月21日、この時は未だカナードは付いていなかった。

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1985年9月9日、カナードが付いていた。

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最後の撮影になった10月21日。

岐阜19851021_R




 今日から3月なので1日にちなんで、F-4EJの301号機。
301号機は302号機と共に完成機を輸入したもの、フェリーインの時は小牧まで
撮影に出かけました。
 その後301飛行隊に配属されたものの短期間で実空に配置換えになったようで
テストベッドやチェイス機として使われているようですが私はしばらくお目にかかっていません。
1977年8月2日、小牧。

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1985年11月21日、高速ターゲットドローンを着けて着陸。

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1990年3月13日、当時は珍しい1本タンク。

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Fー104とT-2、Fー4とTー2の並んだ画像が出てきたので紹介します。
 
Tー2は細身の機体と思っていましたがマルヨンと並べて見るとそんなに細身には見えませんね。
 
1979年3月7日。
 
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一方、Fー4と比べるとかなりスマートに見えます。
 
1985年3月6日、偶然にも1日違いの6年後でした。
 
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Fー2は同じ時期に仏で開発されたジャガーと比較されますが、空力的にはこちらのほうが洗練されて見えま
 
す。三菱の零戦の伝統を受け継いでいるのかもしれません。
 
残念な事は零戦と同じく機体重量の軽減を測って強度的余裕ががあまり無かったせいか、アグレッサー部隊で
 
は機動中に分解したという話を聞いたことがあり、その為か意外と早くFー15に機種転換されてしまいました。
 
Fー4はパワーで機体を飛ばすというコンセプトが生きてるのか頑丈な構造で未だに現役で飛んでいます。
 
ただFー4も最近はお疲れ気味かエプロンに並んでいても飛ぶのは少ないですね。
 

岐阜でTー2の3号機から改造された実験機、Tー2CCVが飛び始めたという話を聞き、何度か岐阜へ通いま
 
した。
 
幸運にも1985年10月21日には飛んでいる姿にお目にかかれました。
 
その後入間航空祭に一度だけ飛来してデモフライトをしたそうですが、私は行けませんでした。
 
この機体は各務原の航空博物館には行かず岐阜基地に保管してあるそうで毎年の航空祭には展示されている
 
様ですね。
 
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1990年11月に岐阜で撮影したTー4の1号機、56-5601。
 
尾翼のマークには文字が入っていません、1989年まではAPWの文字が入っていましたが組織の名称変更で
 
ADTWになったので文字だけ消したようです。何故ADTWに変更しなかったのでしょうね。
 
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