飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、F-1,T-2

1979年ととある日の岐阜基地。
 
山の上からTー2ブルーの離陸の転がりを撮りました。
 
6機画面に入っていますが、並び方がイマイチですね。
 
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T-2の特徴の一つに着陸時のドラッグシュート使用。
 
通常は会場にいるか着陸に居るのでドラッグシュートを引いた姿は滅多にお目にかかれませんでした。
 
1993年5月30日の百里では何故か離陸側に居てドラッグシュートを引いた姿を撮る事が出来ました。
 
訓練時には通常の白いシュートですが、この時は赤、本番だったようですが、何故だったか記憶からすっぽ抜け
 
ています。
 
赤いドラッグシュートも機体が暗い塗装だとあまり目立ちませんね。白がベースの塗装だったらもっと目立ったと
 
思いますがどうでしょうか。
 
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ハチロクの後を継いで登場したTー2ブルーはその高速性を活かしてのキレのある演技を見せてくれたものの
 
旋回半径が大きく演技と演技の合間が空いてしまうという欠点がありました。
 
また塗装がハチロクと反対の白の部分が少なくなり、青も濃い色になり青空をバックにすると溶け込んでパッと
 
しない面も有りましたが、結局塗装は変更されずじまいに終ってしまいました。雲の多い日には目立ったようです
 
がね。
 
転がりでもハチロクの様に斜め前から見ると重なる姿も見せてくれなくなったのが寂しいです。
 
残念ながらこの転がり形態はTー4にも受け継がれてしまいましたね。
 
1993年9月12日、三沢から松島へ帰りの転がり。
 
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今日も昨日に引き続きT-2のスキャン画像から。

国産初のジェット戦闘攻撃機、F-1も退役して久しいが1987年頃は最盛期でした。

この頃は各飛行隊で迷彩塗装の研究が盛んで色々試行錯誤をしていたようで我々マニアを楽しませてくれました。というか強迫観念にとらわれせっせと各基地へ通ったものです。

築城では現在のF-2の洋上迷彩に似たもの(214)や、グレイの制空迷彩(219)が現れました。

1987年11月15日の航空祭当日、219はホットミッション、翼端のサイドワインダーは実弾です。
何故か降りて来てアラートハンガーには戻らず海側のピン刺しエリアでエンジンカット。

地元友人のO君に脚立を借りて沖の防波堤から撮りました。

1988年11月に撮った228はロービジ化を図ったもので部隊マークがインテーク、日の丸は後方に移動してオーバースプレイして有りますが、尾翼の部隊マークはそのまま、頭隠して何とやら状態ですね。

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本来なら今日は微笑みの国シリーズだったのだが急遽予定変更です。

1年ほど前からフィルムスキャナー用のパソコンがフェーズアウトしたためフィルムのデジ化が進んでいなかったのでC社のフィルムもスキャン出来るスキャナーを購入しようか検討していたのだが、今あるスキャナーがあまり使用していなくて未だ元も取れていないのに無用の長物になるのも癪だな~と思って居たところ、織り込みのチラシにXPモデルが2万円以下で出ていました。

フラットベッドスキャナーより安いのでとりあえず店に行って見る事にしました。

近くの店ではXPモデルが無いので別のチェーン店へ。
幸いどちらも高速道路のインター近くだったので、高速で20分程、3月までの震災復興関係で料金はタダ、ラッキーでした。

で、そちらの店でめでたく希望の品をゲット、早速試しスキャンをしてみました。

画像は1985年9月4日、築城基地です。

当時は築城基地で発足したアグレッサー、F-15は未だでT-2で飛んでいました。
発足当時はT-2のグレーの標準塗装でしたが、その後御覧の様なミグ21を模った塗装や新田へ移ってからは獰猛な迷彩に進化しています。

今の築城基地を知っている人は背景を見ておや?と思うでしょうね。

この場所は飛行機マニアなら大好きな高いところ、木の上でした。
今はもう松くい虫にやられて面影は有りません。

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