飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、F-1,T-2

 この日の百里には毒蛇部隊が巡回指導に来ていました。
今から27年前、当時の機種はT-2でした。
 毒蛇部隊の塗装も当初は通常のT-2と同じでしたが、その後迷彩が色々工夫され毒蛇らしくなってきました。機体毎に塗装がかなり違います。

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今日は国民の祝日、建国記念日、昔風に言うと紀元節ですね。
どうやって特定したのかは疑問ですが、2600と何十年とか。
さて今日の話題は211、Fー1です。
Fー4よりも後から導入されたのに先に退役してしまいました。
頑丈さが売りもののFー4に比べると華奢な感じでしたが、さながらグラマンと零戦でしょうか、エンジンパワーの非力を機体の強度を犠牲にして重量軽減を計ったからでしょうね。
1988年2月築城。
 
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1992年7月小松。
 
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今日はソロの演技、手持ちのポジには見当たらなかったのでダブルソロは無かった様です。
Fー1、Tー2独特のスポイラーによる傾きのコントロール、スポイラーが立つと透けて向こう側に青空が見えます。
 
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当時の離陸は3機編隊X2。
二つ目は第一編隊に比べると後方から走るので同じ場所で撮るとちょっと高めです。
どうやら並べる順番が逆になったようですね。
 
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離陸後は4機と2機に分かれての演技、4機のダイアモンド編隊で会場にお腹を見せるパスは順光側の滑走路の南側は順光でした。旋回半径が大きいので背中もあまり見えないのが残念です。
 
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ブルーインパルスといっても30年前の1984年11月25日、新田原基地航空祭では2代目、使用機種はT-2でした。
今のTー4とは違って超音速機、アフターバーナーを使っての演技は鋭さがありましたが、旋回半径が大きいのが難点でしたね。視界から消えて戻ってくるまでかなり時間を要しました。
また塗装の選定ミスで晴天の場合には機体上面、側面が青空に溶け込んでしまうのも良くなかったですね。
ハチロクの塗装を継承して白を基調にすれば良かったと思っています。
バーナーオンの時はスモークを出さなかったほうが中途半端なしっぽを見せずに済んで良かった気がします。
 
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おまけは、今日自宅付近にドクターヘリが飛来、3回ほど旋回して戻っていきました、降りなかったところを見ると何に来たのでしょうか。
 
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