飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 新田原

 一日遅れてしまったが、15日つながりのF-15。
早いものでもう39年も経ってしまったが、F-15が新鋭機だった頃は未だ機首にナンバーが入っていなかった。
 モータードライブで撮影した離陸の連続写真。

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 一見南国情緒のヤシの木に見えるが、日本各地で見られる棕櫚の木、何時の間にか姿を消してしまった。







 今日はカエルの色付きが飛びそうだというので百里へ。
念のために早朝出勤したが、ファーストは無し、セカンドもノーマルが3機。やっとサードで青と黄色がT-4と飛んでくれた。待ちくたびれて疲れてしまったので画像は後程。
 今年で終焉を迎えるカエルだが、1993年12月には20周年記念行事でが有った。
ネガカラーが出てきたがK社のポジに比べると変色が激しく補正したのだが全体的に黄色くなっている。

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残りの迷彩2機は434と437。
パターンは似ているが塗り方が多少違っている、434はかなり厚塗りで機番や日の丸はチョット目には見えにくい。この後ロービジ化で機番や日の丸が小さくなるのだがこちらの迷彩を採用した方良かったと思うのは私だけだろうか?

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この時のカエルファントムは3機、2機、1機と合計6機も飛んでくれた。
その内戦競塗装は3機+1機、通常塗装は2機だった。
飛んだ十番は忘れたが今日は3機編隊で飛んだ機体。大昔、横田で日曜日の朝にZZのRF-4Cの3機編隊離陸を見た事があるが、その後空自では航空祭でたまに見かけるぐらいになり最近はとんと見かけない。
F-2に至っては編隊離陸はおろか、滑走路上に並ぶ姿も見かけない。何か理由があるのか聞いて見たいものだ。どうせなら437が編隊長で飛んで欲しかった。

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今では空自は基地内駐車場は関係者だけになってしまったが、当時は基地内にも一般駐車場が用意されていた。
新田原ではこの年、滑走路南側の草地が駐車場になり、しかもかなり近い所まで滑走路に近づけてマニアを喜ばせた。今ではとても考えられないね。
機体番号354は戦競塗装のままでフライト、単機で低い上がりを見せてくれた。インテークベーンに赤い星が二つ見えるが飛行隊長の2佐の桜二つを模しているようだ。
今だったらオートフォーカスで滑走路近くで迫力ある姿が撮れただろうが、マニュアルフォーカスでは自信がなかったので後ろへ下がって撮ったが、一発勝負で滑走路近くで挑戦しても良かったと後悔。

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