飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 新田原

 2006年10月11日に新田原へ行った本命は301飛行隊、302飛行隊はおまけだった。こちらも線競塗装機は2機が飛んでくれた。インテークベーンの左右で塗装が違っている。

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 左側は2機とも同じだが、右側は柄に違いが有る。塗装機は予備機を入れて後3機有るはずだが、残りの機体はどういう塗装だったか見ていない。

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 10月5日に那覇へ行ってから6日後の11日には新田原へ301sqの事前訓練を撮るべく出かけた。最初に転がって来たファントムは前の週に那覇で撮った機体だった。光線の良い状態で転がりが撮れ、機首アップを撮れたのは思わぬ成果だった。

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 昨日の続き、列線に並んだ5機のうち3機が飛んだ。

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 飛行を終えて戻って来たパイロット、当時はパラシュートは座席に装備されておらず装具室から背中に背負って行った。重さは20kg近くあると聞いた。37年後の今は何処でどうしているのだろうか。

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 1985年12月1日は新田原航空祭だった。
当時はFー1やTー2が現役、AGRSも新田原をベースにTー2で飛んでいた。部隊発足当初は通常塗装だったがその後より実践的なオーバースプレーの迷彩になった。
 地上展示された171、機首番号は3桁からロシアを意識した下2桁の赤文字、インテークベーンに記入された"GRAND"は当時の飛行隊長のTACネームと思われる。

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 列線に並んだ、飛んだAGRST-2。

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 今から丁度30年前の新田原基地、演習だったのか西側のエンドにF-15が並んでスタンバイしていた。
その中には前年秋の戦技競技会に参加した202飛行隊の塗装機が混じっていた。
 202飛行隊はF-104Jからの機体更新だったがそれまでの黄色いVマークは通達により日の丸サイズの埴輪になった。戦技競技会で復活したVマークだったが、202飛行隊は23飛行隊に改編されたのでこの時だけで終わってしまった。

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