飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、羽田

1986年3月1日の大阪国際空港、ユナイテッド航空のL1011-500、N513PA。
レジからもわかる通り元パンナムの機体、パンナムの破産の後L-1011も引き継いだ。

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今日のL1011はN762BE、この機体は旧JA8506。
A社のB747SR導入に伴い下取りに出したらしく、ボーイングが引き取り、ハワイアンにリースしたらしい。ANAMで売却整備と塗装を行った。
1985年4月12日。

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1985年4月15日。

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1985年4月16日、ドローンで撮影?

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国内へ戻ってA社の後期塗装。
JA8514、1982年12月11日、今は取り壊されて更地になった大阪国際空港のハンガーに頭を突っ込んでいる。
この機体が後期塗装の初号機だった。B767の導入に合わせて塗装変更になった。

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JA8515,1984年2月16日、大阪ランウエイ32Lを離陸。

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JA8515、翌々日雪の解けかかった大阪国際空港の51番スポット、背景は宝塚の山。

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JA8520、雪の羽田空港、14番スポットからランウエイ04に向けてプッシュバック。タグ車はL1011に合わせて導入された米国、ペイムーバー社の”平タグ”。胴体の下でも作業できるように車高が低く抑えられている。格納庫内の作業では胴体下での作業が行われたそうだが、屋外では潜ってのトーイングは行われなかった様だ。
トーバーの付け替えをしなくても済むように前後に運転席がついているが前方は運転席が上に上がって視界が良かったが、後方は上に上がらず、左側の視界が確保出来なくて運転手は苦労したそうだ。

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JA8518,1990年3月26日、伊丹カーブを旋回する。千歳か那覇行きでキャセイ並みの低い上がりだった。

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1980年代、大阪国際空港にはキャセイ航空がL100を運航していた。
1日2便、1便は香港直行、もう1便は台北経由だった。
どちらもA社の国内線よりも長距離なので重量が重く、離陸後の上昇率も良くなかったので、伊丹カーブを旋回する姿は見かけ上低く見えた。

N321EA、1985年12月。

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N316EA、1986年3月2日。

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VR-HHL、1986年3月2日。

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キャセイのL1011では香港ー成田で帰りにコックピット見学を申し込んだらOKが出て(多分大島辺り)、雑談をしていたら着陸まで居て良いよとなり成田のランウエイ16Rの着陸まで夜景を楽しませてもらった事があった。
今ではどう逆立ちしても無理だろうね。昔は良かった。(笑)



ポジをスキャンしたのでそちらから。

JA8516、1982/12/14 千歳空港36Rに着陸したところ、当時は政府専用機格納庫の北側にターミナルビルがあった。

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JA8507, 1982/12/12 現在は伊丹空港になったが当時は大阪国際空港と呼ばれた、RW33Lを離陸後中国自動車道の手前でレフトターンするところだが羽田便等の重量が軽い機体はどうしても仰ぐ感じになってしまう。

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JA8508, 1982/05/19 千歳のRW36Rにラインナップするところ、雲が切れて何とか日が当たった。

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JA8509, 1982/12/13 雪の残る千歳RW36Rにラインナップ。

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