飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、横田

しないが 半世紀前、1972年3月の横田、日付けがはっきりしないが、4月から大阪へ転居したので3月の何れかの週末。当時はサンデーカメラマンだったので天気が悪くなければせっせと通っていた。
 36エンド迄来て東側誘導路を転がるHCー130。

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 WEATHERのタイトルは描いてあるがどんなミッションだったか疑問があるRBー57F。

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 岩国からクロスカントリーで飛来したTAー4J、この頃は何故か海兵隊の飛来は厚木より横田の方が多くて、厚木マニアを悔しがらせた。

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 1970年頃の横田には怪しいCー130が時々飛来した。
黒い機体に赤い文字、YJのレターは当時那覇基地に駐留していて、小数機が特殊任務に就いていたと思われる。

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 同じ日に撮った通常型のCー130E,DLは台湾のCCKに居たはず。

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 初めて立川の三軍記念日に行った1965年頃は航空救難捜索機としてHCー54がいたがその時がHCー54を見た最初で最後の日だった。その後機種が新鋭ターボプロップのHCー130Hになり、立川で見かけた。  
 その後立川が閉鎖になりHCー130は横田に移転した。当初はフルトン回収システムが付いていたH型だった。

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 その後システムを取り外してレドームを通常型にして給油ポッドを付けたN型が増えて来た。

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 昨日の続き、横田36の降り、この時は角の国有地に一時的に残土の盛り土が有って、週末にはマニアや見物人で賑わった。右側の人物はK氏に似ているが果たして誰だったかな。

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 五日市街道上空を通過するブラニフのB707.ブラニフは本国では中南米に定期便を飛ばしていたが、ベトナム特需で日本でも姿を見る事が出来た。機体毎に胴体の色が違って確かレインボーカラーと呼ばれていたように記憶している。スペシャルペイントの元祖といったところかな。
 なおDC-8にはピエールカルダンデザインと言われたサイケな機体が有ったが日本では姿が見られず残念だった。

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 古き良き時代だった1970年ごろの横田。
C-141Aは銀ピカの無塗装だった。

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着陸するT-39Aの向こう側には地元347TFWのファントムの列線。

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待機するEB-57E。

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シーボードワールドのDCー8の前に離陸するEB-57E。

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