飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、横田

 今日は何の日、今朝のラジオでは出てこなかったが、55年前の1970年7月11日は横田基地に米空軍のCー5Aが初飛来だった。この日は土曜日で事前に飛来情報が有り、基地の南東角には結構な人出が有った。この日は未だ梅雨明けせず曇り空にその巨体を現した。翌12日の日曜日に横田ドライブインに出勤するとエプロンには未だ駐機していた。手前のCー141と比べると大きさは一目瞭然。
 到着も撮影しているはずだが、ネガが見つからないので翌日撮影したものから。

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 其の内機体周りには人だかりが出来、MACターミナル近くのゲートから人の出入りする姿が見えたので、半信半疑で近くへ行って見るとCー5Aの臨時公開を。これ幸いと機内見学。

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 念のためかスペアーエンジンを搭載していた。

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 はっきりとした記憶は無いが、当時はサタデー、サンデーカメラマンだったので、月曜日以降では無いと思うが夕方には本国へ向けて離陸して行った。

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 今の米軍基地、ほとんどが日本製の車だが当時はほぼアメ車だった。

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 1969年、当時はベトナム戦争の影響で米軍TAC部隊はSAE塗装(ベトナム迷彩)になってしまったがMAC部隊は無塗装のジュラルミン肌で飛んでいた。

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 WCー135B。

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 WBー57F。

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 Cー141A、本国からベトナムへの途中、横田はテクランで毎日飛んでいた。当時は行けば必ず撮れて部隊マークも機体の割には小さくてマニアには人気が無く”イモ”と呼ばれカメラを向ける人は少なかった。私は真面目に撮影。その後胴体延長されたB型に変わり、塗装もリザード、ロービジになって絶滅してしまった。

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 1969年9月の北側エンドラストチャンス、三沢475TFW391TFSのFー4C(UD)、フィンチップは黄色。

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 編隊着陸する地元横田の347TFW80TFSのFー4C(GR)フィンチップは黄色。胴体下にガンポッド、内側パイロンにはロケット弾ポッドが付いているので水戸射爆場(現常陸海浜公園)帰りと思われる。

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 1969年8月の横田基地、ドライブイン前、プエブロ号事件で韓国に派遣されていたFー4D(ZG、4531TFW68TFS。

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 Fー4D(ZF)、590TFSの2機がラストチャンスで待機、着陸するのは地元347TFW80TFS(GR)のFー4C。

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 Fー4D(XN)、12TFW559TFS。当時ベトナムのカムラン湾に駐留していたが、良く横田に姿を見せていた。何らかの改修作業を行っていたようだ。ノータンクでテストフライトをしていた。

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 スキャンして眠っていた画像から、1969年9月の横田基地にはプエブロ号事件対処の為に本国から韓国に派遣されていたFー4D(ZF)、4531TFW560TFSが飛来した。
 最初は箱根ヶ崎方面からランウエイ18に3機編隊のままローアプローチ、その後編隊を組みなおしてエシュロンでオーバーヘッドブレーク、着陸した。なお各機には三本タンクとスパローの実弾4発をフル装備、日本海上空をCAPしていて横田へ飛来したと思われる。

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