飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 嘉手納

 この年の公開には当時フィリピンのクラークに駐留していた米軍毒蛇部隊のFー5Eが参加してくれた。
パイロットの画像は見つかったが、肝心のFー5Eのポジは行方不明。そいえば首に巻いているスカーフを販売していたので買った覚えが有るがこちらも所在は不明。

19880702_R







 この時の嘉手納訪問では空軍と海兵隊のファントム偵察型が撮れた。この頃にはロービジ化が始まって空軍はオーバーオールダークグリーンのヨーロピアン迷彩、海兵隊はマニア泣かせのグレイのモノトーン迷彩になっていた。
空軍のRFー4C、ZZ561。

ZZ581,19880630_R

海兵隊のRFー4B、RF03。

RF03,19980630_R








 スキャンするポジを探していたら、何故か1988年初夏のポジが出て来たが、もっとあるはずのポジは未発掘。当時は米国独立記念日に合わせて7月の初めの土日に基地公開が有り、それに合わせて本土から出かけるマニアも少なくなかった。普段はFー15は西側のタクシーウエイは転がらないのだが東側タクシーウエイ工事だったのか西側を転がってくれてラッキーだった。尾翼の塗り分けは確かウイリアムテル参加の記念だった記憶が有る。

ZZ536,19880629_R

ZZ67TFS,19880629_R

 23Rへの着陸はかなり低い。

ZZ521,19880629_R















 月日が経つのは早いもので1990年当時はバリバリの現役だった嘉手納のFー15C/Dも34年経った今では風前の灯火になってしまった。6月30日に行われた嘉手納カーニバルではデモフライトの無い展示機だけの公開が行われて、夏に行く嘉手納の楽しみの一つだった。

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 15日にはRCー135UとVの2機がとぶという嬉しい誤算が有った。想定よりも早く帰って来たので光線状態も良かったのはラッキーだった。
 RCー135U。

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 RCー135V。

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