飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 丘珠

 今日は朝から雷雨模様で猛暑は一旦落ち着いたが涼しい話題の丘珠を続ける。
日本近距離航空は丘珠空港で横浜盲訓学園が運航していた北海道内の路線を受け継いでDHC ー6で運行を開始した。その後座席数を増加させるのに伴いYS-11を導入した。てっきりDHCー6と同じ白い胴体に赤いラインと尾翼のトビウオマークが継承されると思っていたら安易な親会社の塗装を継承、垂直尾翼に赤いトビウオがはいっただけだった。まあ昨今の親会社と同じマークで会社名だけが違うという塗装よりはましかもしれない。1985年10月5日。
 JA8727。

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 JA8728。

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 なお羽田空港では大島路線専用のJA8650が飛んでいた。よく顔御合わせた坂崎機長は確認するのを忘れたが元日本航空機製造でテストフライトを担当していた方かも知れない。








 今日も日中はうだる様な暑さだった。所用で仏空軍御一行様には残念ながらお目に掛れなかった。
引き続き涼しい話題を、1997年1月に丘珠へ行ったら北風びゅうびゅうの凍り付くような寒さだったが我慢して撮影。1機だけだったがOHー6Dの冬季迷彩塗装を撮る事が出来た。

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 晴れていれば雪の反射で良い感じだったはずだが...。









 日付けは変わって2015年にも丘珠へ、この時はJA803K”スズラン”が撮れた。

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 ツドームへ移動。

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 あと2機、JA802KとJA805Kが有るはずだが行方不明。














 丘珠のエアニッポンネットワーク、DHC-8(JA804K)。撮影はターミナルから移動してツドームへ、滑走路や誘導路は除雪してあるがその脇は雪の壁になっているので機体が隠れてしまう。

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 2006年2月20日の丘珠は冬だけの迷彩塗装機が目的だった。地元のOHー6DやUHー1Hは見かけなかったが十勝からの外来、AHー1Jが撮れたのは嬉しかった。十勝飛行場へは以前千歳在住だった時の厳寒の時期に行ったのだが、AHー1Jの冬季迷彩は見当たらず、OHー6Dが飛んでいるのを遠くから見ただけに終わってしまった。

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