飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 千歳

 2006年9月10日、この時は何がお目当てか思い出せないが、当時未だ那覇にいたオジロファントム4機が里帰りしていて1番機はトラベルポッドを装着していたので、そのお帰りに遭遇した。当時のFー4は実射撃訓練の為に、年に1度くらい島松演習場を訪れていた。この時では無いが島松演習場ではFー4が、経年劣化により回線がショートして誤射事故が有ったのを知る人も少なくなった。

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 今日は年に一度の農協の総代会に出席した。活発とは言えないが多少の発議、イチャモンも有ったが無事終了、主催者もほっとした事だろう。私もトランプのMAGAの向こうを張って日本版MAGA、(農業に再び栄光を)とのエールを贈ったが反応が無かったのは残念だった。
 さて本題は2006年2月20日の千歳基地。この日は朝一便で羽田から行ってタワー下へ行ったのだが、滑走路の両側には雪が壁になって足が隠れる状態だった。期待していなかった三沢のパンサーが降りて来たのはサプライズだった。午後は丘珠へ転進したので、上がったのかどうかは知る由もない。
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 海上迷彩の306

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 おまけに千歳の思い出を、50年近く前の冬の千歳基地へ行った帰りに、飛行機の中で寒気がしてきて、翌朝起きたら熱が有ったが、出勤、しかし熱が酷くなってきて早退、寝ていて体の震えが止まらず近くの病院へ。医者は単なる風邪と診断したが、頼み込んで入院、その後の検査で気管支炎が判明した。そのまま帰っていたら救急車を要請していたはずだ、クワバラクワバラ。原因は冬装備で着こんでいたが汗をかいてその後の体の手入れをしなかった為。冬に汗をかいたらご用心。
 もう一つはやはり50年ほど前で新千歳空港が開港する前、やはり冬に行った時の事、千歳の友人Tさんと雪道を36エンド迄歩いていたら1台の車が、スタックしていた。聞くところによるとやはり雪景色を撮影に来たとの事、二人で押して何とか脱出には成功した。現在は築城の近くに住んでいるそのOさんとは今でも親交が有る。















 

 SATのB737の通常塗装機、RAー73003は千歳で2006年11月26日に撮っていた。既に送迎デッキは閉鎖されていたので条件の悪いガラス越しの撮影になってしまった。

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 当時の千歳の国際線はスポットNO.1が定位置だったので、トンネル横のフェンス沿いに行って見た。

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 先日の丘珠行きは普通夕方の便で帰るのだが、今回はお目当てのマリンコが遅くなると後ろ髪をひかれる事になるので、1泊を追加して午前の便を選択した。
 それが功を奏して、朝の千歳で怪しい飛行機を撮る事が出来た。おまけなので駐機している姿だったり逆光だったのは仕方が無いけどね。今回現地で会った旧知のマニアはこれらの動いている姿を撮るのに2日間も丘珠ー千歳を往復したとか。年寄りにはそんな元気は有りません。(笑)
 ビーチB350(N349CA)、アンテナやら色々と空気抵抗になりそうなものが付いているが14日には千歳から嘉手納へ飛んだそうだ。その後フィリピンのセブへ行ったらしい。

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 去年も同じ頃に千歳で見かけ、その後成田を往復したカナダ漁業資源局のDHC-8(C-FOFR)、こちらの機体はFR24の履歴には表示されない。昨年は成田で離陸を撮るはずが離陸ポイントを誤り林の下へ潜ったままという失敗をしてしまったが今回は逆光でも離陸を撮れただけ良しとしよう。

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 昨日の続き、

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 この頃は未だ新千歳空港は工事も始まっていなかったので滑走路にラインナップした姿も背景が綺麗に抜けたが今は照明塔などの建設物が写りこんでよろしくない。

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