2022年08月20日 小松のマルヨン 今日スキャンした中に1977年5月12日に小松で撮った画像が有った。当時は東側誘導路を工事中だったらしく、西側誘導路を使っていた。鉄工団地の奥のフェンス際から撮影が出来たがフェンス内側の松の木が気になる。この頃は205飛行隊のマークを付けていたが新設された303飛行隊にF-4が配備られた後は6空団の共通マークになってしまった。 当時は反対側の左側が撮影ポイントだったが、そのうち立ち入り禁止になってしまった。 05の降り、午前側は今でも撮りにくく、午後側は高い。 タンク無し。 珍しく新田原の202飛行隊から外来、クロスカントリーかな。
2022年08月18日 1977年の百里、その3 昨日の続き、 後ろに見えるのはマルヨン時代のアラートハンガー、ファントムになって現在地に移転。空港がオープンする迄有効活用で県警ヘリのハンガーに使用されたが、今は更地になってしまった。 ドラッグシュートを切り離す位置までおいでおいでをする整備員。今は芝生にお尻を向けてポイ捨て。
2022年08月17日 1977年の百里、その2 昨日の続き、背景は松林と筑波山。松くい虫のおかげで今はすべて杉林に変わってしまった。 デルマーターゲットを相手に射撃訓練をして帰って来たマルヨン、通称エンピツのロケット弾ポッドを付けている。
2022年08月16日 1977年の百里 1977年の4月、関西在住だった頃、帰省したついでに百里へ。207飛行隊は沖縄返還に伴い那覇へ移動したが、シスタースコードロンの206飛行隊は未だ元気に飛んでいた。 サイレンサーの前には桜が咲いていた。 定番クノイチで離陸を。 E-5のアーミングエリアでドラッグシュート。複座のマルヨンはロケット射撃の標的、デルマーターゲットを曳いていた。最近はおいでおいでをしている姿を見ないね。