飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 横須賀

 昨日の続き、せっかく行ったからには艦内に入る事もチャレンジ。舷側の警衛兵交渉すると当直士官に会わせてくれ再度交渉、首尾よくOKを貰いエスコートを手配してくれ甲板へ。お目当てはFー4B

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 艦橋もリクエストしたら連れて行ってくれた。

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 一番撮りたかったCAG機、NF200、レドームは開けているし、隣の機体が接近しているので撮影条件は良くなかった。

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 もう50年以上前の話だし、F-4やAー7もとっくに退役しているので公開してもセキュリティ場は問題無いだろうね。ところで8月の横須賀港内巡りで気になった事がある。乗船券購入で並んでいたら中国語が聞こえた。どうも中国人の観光客らしいが現在のかの国の政府の状況を見ると、野放しに中国人観光客を港内巡りの船に乗せるのはどうかと疑問が湧いた。米軍基地の公開では中国人お断りの看板が有る、乗船規制の必要があると思う。やすやすと情報がじゃじゃ漏れになってしまう恐れが無いかと思ってしまう。特に潜水艦は一番目につきやすい埠頭は使わず、田浦湾の方へ移動する必要があるのではないか。きっとかの国の軍港や飛行場周辺をカメラを持って歩いているだけでも拘束される恐れが大きい、早急に対策を求む。



























 昨日は予定外だったが、今日は予定の日付けネタが有ったので紹介しよう。
今から53年前、1971年9月10日は横須賀へ行っていた。理由は空母ミッドウエイが横須賀に入港していたからだった。当時はベトナム戦争も終盤だったが、ベトナム沖に配置された空母がローテーションで横須賀に休養と修理の為に来ていた。長期修理では厚木に艦載機を降ろして訓練をしていてマニアを喜ばせたのだが、休養の場合は殆どの機体は載せたままで厚木で待っていても待ちぼうけだった。しからば横須賀へ行こうと考えて特権を行使して岸壁へ行く事が出来た。空母の入港時の定位置は6号ドックだった。

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 甲板にはミッドウエイが横須賀を母港にしてからは厚木でお馴染みになったFー4やAー7がゴロゴロと並んでいて一人でホクホクしたものだ。

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 横須賀の港内巡り巡りでは色々な海自艦艇を見たが、初めて見たのは空母”いずも”DDHー3、こちらは沖止めの為遠くから見ただけ当然搭載ヘリは館山に降ろすので姿が見えず。そのうちF35が載っている姿を見たいものだ。

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 こちらも初見の老人には超違和感のあるFFMー1”もがみ”。

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 最上に並んで接岸する在来型護衛艦。

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 沖合にはFFMー2”くまの”の姿も見えた。

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 横須賀港をから一旦外に出て左へ曲がって行くと田浦港へ。正面に2隻接岸している船が見えて来た。
説明によると午前に東京を出港したドイツ海軍艦隊だったので、これはヘリが甲板に出ている可能性が高いと期待したのだが、結果は期待ハズレ、残念。
 F222、バーデン ベルテンベルグとA1412、フランクフルト アム マイン。

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 続いて右側の米軍岸壁には、DDG115、ラファエル ペラルタ。

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 DDG62、フィッツジェラルド。

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 DDG113,ジョン フィン。手前の海面に見えるのは防潜網か?

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 左側DDG85、マッキャンベル、右はDDG115。

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 DDG76,ヒギンス。

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