1976年12月7日に浜松へ撮影に出かけた際に基地内にBIのF-86Fが通常のオレンジ以外にタンクを装着した姿を発見したが、飛びそうになかったのでダメ元で
基地広報班に連絡を入れると以外にもOKの返事を貰い、列線を撮影出来た。
当時は今と違って規制も緩かったのだろうが担当者に感謝するのみである。この時初めて聞いたのだが那覇の航空祭に出かける海越えの為の増加タンクだった。
従ってチャンスは那覇航空祭の前後、一年間に2回だけという事になる。当時はシフト勤務のサラリーマン、この後一度だけ新田原で待ち伏せして撮っただけだった。