1981年頃の日本から欧州へ行くのにシベリア上空は未だ一部しか開放されていず(アエロフロートと共同運航するJALのみ)、ポーラールートが主流で一部航空会社は南回りでほぼ1日がかり8割程の人はポーラールートを利用していたと思われます。もうひとつアメリカ経由というのも有りました。私は一応3ルート共に経験済みです。
さてポーラールートは航続距離の関係でアンカレッジが欧州、アメリカ東海岸航路の中継点として大変にぎわっていましたが今では貨物機が中継点としてのみ利用するだけとかなり寂れてしまったようです。
1981年は奇数年に行われる英国のRIAT見物で行ったはずですが、どの航空会社か記憶に有りません、多分BAだったと思います。燃料補給とクルー交代だけなので1時間ほどの滞在でしたが、マニアとしては何か珍しいのはいないかと一般の人がウロウロしているのを尻目に鵜の目鷹の目状態でした。
さすがここは地の果てアラスカ、日本やアメリカ本土では見られなくなった米軍を引退したレシプロ機が健在、幸運にも動いている姿を目にする事が出来ました。
ここは単なる中継点だったのが6年後にはまさかの1週間ほど滞在するとは当時は思いもつきませんでした。
タキシングしてきたC-119、塗総から見ると元カナダ空軍かな、胴体上の補助ジェットに番号が書いてあるのを見るとその後ウオーターボマーでも飛んでいたらしいね。背後にはC-119、C-97がゴロゴロ。
帰りの日に見かけた離陸するC-119、こちらはレドーム無し。
正体不明のC-54?DC-4。
タキシングするC-97。