JAA、日本亜細亜航空を知る人も少なくなって来ました。
20世紀後半、当時の首相カクさんが日中国交回復に伴い生まれた鬼っこ的存在の
航空会社も台湾と大陸の往来が頻繁になったのに伴い存在意義を失いいつの間にか姿を消しました。
 塗装から見れば判るとおりJALのデザインにタイトルと尾翼のマークに変更を加えただけというお手軽な塗総、解説当初はDC-8で運行していましたが1984年頃から
B747に機材変更されました。路線は羽田、大阪から台北、香港路線だけだったようです。
 今の大陸を見ると国交回復による経済援助その他の恩をすっかり忘れてしたい放題言いたい放題、先人の名言”井戸を掘った人の恩は忘れない”とのことわざはすっかり忘れているようです。
 草葉の陰のカクさんが生きていたらなんと言うでしょうか、聞いてみたいものです。
1985年1月の伊丹カーブ、伊丹市瑞ヶ池k付近から。機体はどちらもJA8103。

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その1年後、同じ場所。昆陽池辺りから撮ればかなり背中が見えたかも、1000mm
のレンズがあったらね。

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