1995年10月にヨハネスブルグへ行ったのは勿論観光では有りません、南ア空軍75周年航空ショーがあったからでした。
当時はインターネットなどという便利なものは普及しておらず、情報はもっぱら欧州の航空誌に頼っていました。春先の英国の航空誌でこの日程を見つけて75周年記念と銘打っているので中身は良さそうだなと友人と話していましたが、私としては地球の裏側に近いところまで行ってハズレではねとあまり乗り気では無かったのですが友人のW君はかなり乗り気でそれでは行ってみるかと重い腰を上げました。
記事にあったウオータークルーフという地名を南アの地図でやっと見つけ、航空券とレンタカーの予約も無事済ませてシンガポール経由のSQ便で成田を昼頃に出発して現地へ着いたのは現地時間の午前6時ごろ、まる1日かかりました。
空港の案内所で航空について聞いても判らないとの返事。
それでは乗り継ぎ便で現地へ行くかと国内線のチェックインカウンターへ移動。
途中現地航空会社のクルーと思われる2人組に遭遇したので念の為に話しかけてみるとそのエアショーなら知っているよ、ここから北へ車で1時間ほどの首都プレトリアの手前だよとの事。
さあ大変、2人組にお礼もそこそこにチェックインカウンターへ行き乗り継ぎ便をキャンセル、レンタカー会社へ行ってこちらも変更手続き、危ない危ないでした。
航空ショー名イコール地名と思い込んでケープタウンとの中間地点付近にある地名と勘違いしていたのでした。たまたまそこには飛行場もあり定期便が飛んでいたのも勘違いの元でした、ネットの無い時代のお粗末でした。
もしそこへ行っていたら航空ショーらしき雰囲気も無くあれどうしたの?状態だったでしょうね。
その後はヨハネスブルグ編に続きます。午前中空港周辺で撮影、午後はロケハンでショー開催のウオータークルーフ基地へ向かいました。交通は日本と同じ左側通行で運転は楽でした。
途中宿を探しながら行くも宿そのものが少なくあっても満室、とりあえず現地の入り口まではルートを確認、この後は本格的に宿探し、来た道を逆戻り、ヨハネスブルグ市内まで戻ってしまいました。
道路を走りながら、確かF1とかいう宿の看板を発見して聞いてみると空室ありとの事ヤレヤレでした。
前置きが長くなりましたが、エアショーに行きます。
初日の10月6日は曇り空なので割愛、7日の画像、オープニングではヘリの3機編隊、アルエットⅢとピューマの改造型オリクスと南ア開発の攻撃ヘリ、ローイヴァルクが空軍旗、国旗をぶら下げてパス。
次はピラタスPC-6が75周年の吹流しらしきものを曳いてパス。
その後75周年スペシャルハークが、この機体は後年RIATに出場した事も有るので見かけた人もいるはずです。