現在企画物のTー2プロジェクトに参加しているが、総生産96機ということもあり、なかなか進んでいません。
主催者もかなりの長丁場になりそうなので難儀しているようですね。
さて今日はそちらへの紹介漏れから。
102号機はてっきり岐阜の実空所属だとばかり思っていましたが、松島で臨時訓練部隊ができてしばらくの閒
派遣されていた様で今回改めて認識しました。塗装は尾翼のみ白い4が描いてあり、胴体はジュラ地のままでした。
1976年7月31日、松島航空祭。
胴体をグレイに塗った118号機の列線、同じく1976年7月31日。
今ではFー4以外は外部電源、ニューマチックを使用しないので地上の撮影はスッキリするが、面白みは無く
なりました。35mmでこんな感じ、かなり近くまで近寄れました。
1976年10月3日の三沢航空祭に展示された120号機、2つサクラのプレート、4空団司令でも来たのでしょう
ね。