飛行老人の飛行機話

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2024年05月

 もう一つの部隊はブルドックが尾翼に描いてある148FW、179FS。フィンチップには青帯に”DULATH”も文字が入っている。尾翼のマークは光線状態ではほとんど見えない。

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 今回の嘉手納行きも目的は4月から来ているANGのFー16。マニアにとっては何とも悩ましい味気ない塗装になってしまった。それでもこちらの175FSはましだろう。

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 コックピット後方下にゴミでもあるのかと拡大したら出撃マークの爆弾が描いてあった。中東へでも展開したのだろうか。

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 沖縄へ行ったのは15日、ホテルにチェックインして、那覇から路線バスで嘉手納に向かい、砂辺に着いたのは午後3時半。期待していた本国からの派遣部隊のフライトはほとんど終わり、Fー16が2機だけ降りていないという情報だった。
 少し待つと2機がILSアプローチをして来た。尾翼にはブルドックが描いてあるのだが、Fー35に似たような塗装をしているので光線状態次第でマークがはっきりしないのが難点。

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 しばらくして降りたのはマリンコのガルフ。後で知ったのだがこのガルフは米国駐日大使を乗せて
17日に与那国島へ行ったようだ。

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 この後ランウエイチェンジ、外来のKCー135が降りたが間に合わず、道の駅までヒッチハイク。
おすもーさんが降りて来た。

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 地元のKCー135R。

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 カヌー型アンテナ付きのPー8。

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 駐機場のPー8、NZ空軍、翌日上がったのだが帰って来ず、グアムへ行ったらしい。

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 数年前から北朝鮮のせどり監視で仏、豪、加奈陀から交代で哨戒機が嘉手納に派遣されているが、なかなか当たらなかった。今回初めて加奈陀のCPー140を撮る事が出来た。しかし上がったのが午前10時過ぎとの事でなかなか帰って来ない、そのうち日が傾いて日没寸前、雲がかかってきた午後7時前に帰って来た。他国の哨戒機は明るい灰色がほとんどだが、こちらはかなり暗い灰色だ。

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 以前は軍用機とは思えない鮮やかな塗装だった。(1981年の英国IAT、グリーンナムコモン)

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 おまけはCPー140にその座を譲ったCPー107”アーガス”、(1980年加奈陀バンクーバー島のコモックス)

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 梅雨入り前にお日様マークが並んだので急遽沖縄へ。2泊3日と短い滞在だったがなかなか会えない友人にも会う事が出来た。その中でも最大の収穫はこれ、本国から展開中のFー16がSFOをやってくれた事だった。百里でも時たまカブトがSFOをやっているがチェイスが付いているのは見た事が無い。
 HIGH KEYは高すぎて音はすれども姿は見えず。ダウンウインドからベースへ入る頃にインサイト。外側がチェイサー。

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 このままアプローチしてくれば良いと思ったら、チェイサーが外に膨らみだした。

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 その後逆転、チェイサーが遅くなりだす。

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 ベースからファイナル、もう少し遅めのターンだったら言う事無しの結果だったがまあ良いか。

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