飛行老人の飛行機話

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2023年09月

 翌14日は夕方まで居ようと思っていたがOGは早々にお帰り、毒蛇も飛ばず、曇って来たので午後の早い便で帰ってしまった。ランウエイ24から離陸して名古屋過ぎまでは殆ど曇りだったが、太平洋に出ると晴天に恵まれた。久しぶりに大島と館山の飛行場を見る事が出来た。小さいながらも館山の外海上空を飛んでいるSHー60が見えた。

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 上空からの景色を見るのは好きだが、特に目を付けているのは飛行場。9月13日の羽田ー小松便では晴天で絶好の条件だった。
 離陸後右旋回して左へ切り替えし東京の区部の北側を廻るように西へ向かうと左側に羽田空港が見える。

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 其の後西へ向かうと調布飛行場。

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 立川飛行場。

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 立川と横田基地。 

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 この日はランカウイ06だったので福井空港が左側に見えた、ラッキー。ここへ行ったのは今から45年以上前、YS-11の定期便がなくなる前だった。定期便の復活は無いだろうが、小松にFー35が配備されたらバックアップ基地として使えないだろうか、欧米ならそうするだろうが。

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 タクシーウエイJー2の北側は駐機エプロン、良い具合に2機並んでいた。

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 こちらは旧Bランウエイ上に新しく整備された駐機エプロン、それにしてもA社の飛ばない(飛べない)機体の多い事、経営状態が心配になってしまうね。少なくとも10機を数えた。

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 国際線ターミナル、北側エプロンも大賑わいだ。当初の計画では海保の格納庫をこの辺に作るはずだったが...。

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 旧整備場、通称N地区。昔のランカウイ33Rがビズジェットの駐機場になってしまった。A社の大型格納庫も今では見る影もない。 

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 この日の羽田から小松へはJ社の183便、機体は委託運航のうちなーの翼、JTAだった。前日に空席が有るのは確認していたので老人割引、プラス千円で前方の左窓側が取れてラッキーだった。
 予想通りランウエイは34Rから離陸、順光側でTー2がバッチリ。

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 以前有ったVIP用のスポットが移転して施設も解体されている、Tー2を北側へ延長するようだ。その前はTー1の北側にVIPスポットが有ったが2度目の移転になる。建物の工事費だけでも馬鹿にならない金額だろうが、誰も問題にしないのは情けないね。

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 国内貨物上屋前、400番台スポット、何時の間にかPBBが付いていた。

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 503,504スポットにもPBBが付いているが、バス輸送とは中途半端な考えだ。

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 今から38年前の伊丹空港、ANAMエプロンでは2機のアエロスパシアルのヘリが新造機のテストフライトをしていた。1機はTDAのヘリ部門のSA365N(JA9625)鮮やかなレインボウカラーというよりエアバスカラー。しばらくしてからフランスへ売却され今も飛んでいるようだ。

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 もう1機はAS355F1(JA9621)、朝日新聞社有機で伊丹配備だったが9年後の1994年10月18日に堺市上空で毎日新聞社のヘリと空中衝突して墜落した。詳しく知りたい方は航空局の事故調査報告書がネットに掲載されているので参照されたい。

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