2022年10月
1980年秋の百里
最近スキャナーでのデジタル化が進んでいるがなかなか編集作業まで進まない。
そんな中で1980年秋の百里が出て来たので紹介しよう。
丁度42年前の1980年10月22日の百里は雨上がりだったのか、雲一つない晴天だった。
11月に行われた戦競に向けての訓練で百里に所在するFー4に対して新田原と那覇からFー104が対抗相手として飛来訓練していたようだ。当時は今と違って通信環境が発達しておらず、行ってビックリ玉手箱状態だった。今日は元百里に居た那覇の207飛行隊のマルヨン。いつもは翼端に燃料タンクを付けているがそれを外した姿は精悍だ。空飛ぶエンピツに見える。
この頃は他部隊からの余剰機体が増えて塗装まで手が回らないのか、防錆塗装されない機体も見かけるようになった。
そんな中で1980年秋の百里が出て来たので紹介しよう。
丁度42年前の1980年10月22日の百里は雨上がりだったのか、雲一つない晴天だった。
11月に行われた戦競に向けての訓練で百里に所在するFー4に対して新田原と那覇からFー104が対抗相手として飛来訓練していたようだ。当時は今と違って通信環境が発達しておらず、行ってビックリ玉手箱状態だった。今日は元百里に居た那覇の207飛行隊のマルヨン。いつもは翼端に燃料タンクを付けているがそれを外した姿は精悍だ。空飛ぶエンピツに見える。
この頃は他部隊からの余剰機体が増えて塗装まで手が回らないのか、防錆塗装されない機体も見かけるようになった。