飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2022年08月

 1970年9月27日は三沢航空祭だった。
横田に入り浸りだったが、横田には三沢からファントムが頻繁に外来で来ていたので、航空祭の話を聞きついでに休暇をとって出かけて来た。
  当時の三沢には空自の飛行隊はおらず、北空司令部が有るだけで展示機も201飛行隊のFー104Jとハチロクブルーと寂しいものだった。
 28日は八戸に3飛行隊にいた高校の同級生を訪ね、29日は三沢に戻ってアラートハンガー前のフェンスの角で転がりを撮っていた。その内アラートハンガーの扉が跳ね上がり出て来たのが、WU(VMFAー334)のFー4Jだった。増槽に隠れて良く見えないがAIMー7とAIMー9を4発ずつ装備していた。
 地元三沢のFー4はRFー4CとFー4Dで対空ミッションには適さないので岩国かアラート待機に来ていたらしい。北朝鮮のプエブロ号拿捕事件に対応した処置だったようだ。この時は飛ぶ事は飛んだが虫干し飛行かスクランブルでは無かったようだ。
 横田と違って三沢は当時は辺鄙なところでマニアなんて他におらず、一人で喜んでいたがこのあとまさかの出来事で撮影は中断されてしまった。まあネガは無事に持ち帰る事が出来たので笑い話で済んでしまったが。
 本来アラートハンガーの画像は遠慮するところだが、半世紀前なので公開しても差し支えないだろう。

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 今日スキャンした中に1977年5月12日に小松で撮った画像が有った。
当時は東側誘導路を工事中だったらしく、西側誘導路を使っていた。鉄工団地の奥のフェンス際から撮影が出来たがフェンス内側の松の木が気になる。この頃は205飛行隊のマークを付けていたが新設された303飛行隊にF-4が配備られた後は6空団の共通マークになってしまった。

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 当時は反対側の左側が撮影ポイントだったが、そのうち立ち入り禁止になってしまった。

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 05の降り、午前側は今でも撮りにくく、午後側は高い。

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 タンク無し。

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 珍しく新田原の202飛行隊から外来、クロスカントリーかな。

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 このところ1970年頃の白黒ネガをスキャンしている。
中には鮮明に記憶している画像もあるが、ほとんどは記憶の彼方に消えている。
 元来人の絵は撮らない主義だが頼まれたりしたり気が向いた時は撮っていた。そんな中から見つけた画像だが誰かは不明だ、ご当人か知っている人がいたらお知らせ願いたい。
 横田36エンドでラインナップするEBー57と、此処に写っている人々は60歳を超えているはずだ。
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 横田基地ドライブイン近くの電柱に登るマニア、確か飯能から三菱コルトで通っていたように思うが名前は思い出せない。

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 横田ドライブインの屋上からTー39を撮影するマニア。

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 横田基地内をチャリンコで走る基地消防隊員。

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 入間基地で当時の新鋭MU-2Sを背景に記念写真、基地業務群の帽子を被っているが同期には見覚えが無い。MU-2Sを撮っていたらせがまれて撮ったようだ。画像を拡大しても名前は判読できなかった。

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 昨日の続き、

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 後ろに見えるのはマルヨン時代のアラートハンガー、ファントムになって現在地に移転。空港がオープンする迄有効活用で県警ヘリのハンガーに使用されたが、今は更地になってしまった。

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 ドラッグシュートを切り離す位置までおいでおいでをする整備員。今は芝生にお尻を向けてポイ捨て。

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 昨日の続き、背景は松林と筑波山。松くい虫のおかげで今はすべて杉林に変わってしまった。

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 デルマーターゲットを相手に射撃訓練をして帰って来たマルヨン、通称エンピツのロケット弾ポッドを付けている。

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