2022年08月
F-4J、NG
1970年10月10日、東京五輪を記念して国民の祝日で会社は休み、横浜方面で蒸気機関車が走るというので出かけて来た。その後横田まで行くよりは厚木の方が近いので相鉄大和駅から歩いて19エンドのトンネルの上へ。中を覗くとエプロンには人がウロウロ、もしかして公開しているのかと思いゲート迄行くと案の定基地公開だった。しかし理由は判明せず、とにかく急いでエプロンへ。
しばらくすると3機のファントムがオーバーヘッドアプローチ、降りて来たのはNG(VFー96、USS AMERICA)のF-4Jだった。
もう少し早く行けば離陸も撮れたのに残念だったが、転がりも撮れたので大満足。なおスボロ360を駆るマニアのS氏は東側のランウエイ近くで離陸を撮っていたとの事で後で写真を見せてもらったが、百里のウエストを離陸するような感じには衝撃を受けた覚えが有る。
この時はパイロットの家族を乗せたファミリーフライトだったそうで、後席に乗っているのはおばさんに見える。前席のPさんはヘルメットではなく飛行帽の様に見える。
しばらくすると3機のファントムがオーバーヘッドアプローチ、降りて来たのはNG(VFー96、USS AMERICA)のF-4Jだった。
もう少し早く行けば離陸も撮れたのに残念だったが、転がりも撮れたので大満足。なおスボロ360を駆るマニアのS氏は東側のランウエイ近くで離陸を撮っていたとの事で後で写真を見せてもらったが、百里のウエストを離陸するような感じには衝撃を受けた覚えが有る。
この時はパイロットの家族を乗せたファミリーフライトだったそうで、後席に乗っているのはおばさんに見える。前席のPさんはヘルメットではなく飛行帽の様に見える。
Fー4C、347TFW
1971年3月に嘉手納へ移動する迄、横田には戦闘機部隊のF4Cを装備した347TFW傘下に3個飛行隊が居た。35TFS(GG)36TFS(GL)80TFS(GR)だったが土曜日曜日でも結構撮影出来た。この頃のアラート待機は空自に任務を譲っていたが、プエブロ号事件以降はしばらくの間本国から韓国に戦闘機部隊が展開してCAPに付いていてフル装備のファントムをよく見かけた。
しかし地元部隊の実弾装備はこの時だけしか見かけず、撮影できたのはCAPに出かけるのかこの時の3機だけだった。程よい高さで上がったのでスパロー、サイドワインダーが良く見える。
通常訓練で飛んでいたF-4C、結構タンク無しで飛んでいた。
しかし地元部隊の実弾装備はこの時だけしか見かけず、撮影できたのはCAPに出かけるのかこの時の3機だけだった。程よい高さで上がったのでスパロー、サイドワインダーが良く見える。
通常訓練で飛んでいたF-4C、結構タンク無しで飛んでいた。
Fー4J、WTその2
Fー4J、WT
WUのFー4Jが岩国に駐留していた頃にWT(VMFAー232)のFー4Jが同じく岩国に駐留していて週末にはクロスカントリーで横田に姿を見せていた。厚木にはあまり姿を見せず厚木マニアを悔しがらせたそうだ。WUは早々と解散してしまったがWTはFAー18に機種変換されて生き長らえているが果たしてFー35への機種変換はされるのだろうか。
画像は1971年7月の横田の南側国有地から。
普通はこの辺でラストチャンスのチェックをするのだが、この時はエプロンで済ませたようだ。
エンド迄行かずインターセクションから離陸。
ネガの続きにまたもやWANTEDが有った。左から2人目は今は亡き電電公社勤務のK氏だと思うが左端の腰に手拭いを下げた人には記憶がない。しゃがんでいる3人目にも心当たりが無い。右側の少年グループももう70近い年頃だ。
画像は1971年7月の横田の南側国有地から。
普通はこの辺でラストチャンスのチェックをするのだが、この時はエプロンで済ませたようだ。
エンド迄行かずインターセクションから離陸。
ネガの続きにまたもやWANTEDが有った。左から2人目は今は亡き電電公社勤務のK氏だと思うが左端の腰に手拭いを下げた人には記憶がない。しゃがんでいる3人目にも心当たりが無い。右側の少年グループももう70近い年頃だ。