飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2021年06月

 昨日の続き。
 NAFカムランベイの文字が見えるC-1A。

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 C-124,後方に見えるアドバルーンは確か立川駅近くにあった百貨店だったとおもう。

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 PACAFのマークを付けたC-47。

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 CIAの下請け業者と言われたエアアメリカのDC-4、何故か銀ピカに磨かれていた、その後横田へ移駐。

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 調べたところ米空軍立川基地は1969年12月8日に閉鎖された。








 あまり行っていないと思っていた立川だったが、閉鎖が決定したからかこの年には何回か行っていた。
この時は何故か北風だったのに離陸側の砂川へ行った。立川は滑走路が2000メートルと他の基地に比べて短いせいか途中に誘導路が無かったために着陸した機体もエンド迄転がってくるという撮り逃がしが少ない基地だった。
 地元立川ベースだった”MA”のハーク。

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 何処からきたのやら正体不明の”QF”のはーく、民間だったらカンタスの略号だけどね。

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 VIPフライトのVTー29A。

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 タイ空軍のCー123、国連のマークを機首に描いてあった。国連軍の支援機として立川と韓国を往復していたようだ、その後横田へ引っ越してしばらく飛んでいたが常連だったのでマニアにはあまり見向きされなかった。

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 1986年11月10日の羽田空港、この日はフィリピンの大統領が来日した。調べればわかると思うが誰かは思い出せない。マルコス時代は婦人専用のYSー11も持っていたが、専用機は持っていない。
 普通大統領が外遊する際は少なくともチャーター機を使うが、フィリピンの場合は成田への定期便を羽田へ着陸させるという荒業を使ってマニアをガッカリさせた。

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 国賓待遇だったらしく陸自の儀仗隊も出動。

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 当時の陸自の輸送機部隊はKVー107プラス新鋭ピューマ。

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 昨日2回目のコロナワクチン接種が終わったが、左腕は1回目と同様の痛みが昨日から続いている。
おまけに今朝起きたら体が怠い。昼前に体温を計ったら37.5度、平熱よりも1度高かった。食欲も無く昼飯はパスしてしまった。
 TVニュースによると2回目の接種で発熱率は39%だとか。これを人並みととらえるか当たりととらえるかは意見の分かれるところ。下痢や悪寒、めまいなどが無かったのは幸いかも知れない。
 これからワクチンを接種する人の参考になればいいね。
という事で今日は画像の取り込みが出来なかったので更新は無し、悪しからず。







 昨日の続きで10月の立川。横田ばかり行っていて立川へは半年に一度ぐらいしか行っていなかったのが残念だ。普段行かない立川へ行ったのは多分誰かから英空軍のC-130Kが来ていると聞いたからではなかろうか。

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 当時台湾のCCKからの外来、DYのハーク。

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 全面いぶし銀塗装、国籍マークやシリアルナンバーが小さくなったCー130B。CIA関連のサポートに使われたようだ。

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