飛行老人の飛行機話

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2021年06月

 早いもので今日で6月も終わり、今年も半年が過ぎてしまった。
このところ昔のポジをスキャンしているのだが今日は偶然にも6月30日に撮ったポジが出て来た。
 今から丁度40年前の今日は英国のRAFアルコンビューリに居た。この時はIAT1981が27,28日にグリーンナムコモンで開催され、その後の基地巡りの途中だったと思う。前に1985年の此処でのU-2を紹介したが、1981年にはF-5EとRF-4Cがいただけだった。
 ランウエイ30エンド付近でラストチャンス、ピン抜き作業中の”AR”、10TRW1TRSのRFー4C。

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 西欧ではここだけに駐留していたアグレッサーのF-5E、後方は離陸するRFー4C。

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 西独ツバイブリュッケンからの外来、26TRW38TRWのRFー4C、タオルバーアンテナ付き。

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 和蘭キャンプニューアムステルダム(ソエステバーグ)32FG32FSのFー15C,この後離陸してバーナーを焚きながら垂直上昇、上空で反転して航空路に乗って南東方向の基地へ向かって行った。後でバイキングデパーチャーという方式だと知った。新田原航空祭に来た嘉手納のFー15Cが帰る際にも同じ方式の離陸を見た事が有るが、宮崎レーダーの担当者はいきなり基地上空にブリップが表れてびっくりしたのではなかろうか。
 離陸の状況はポジでは見つからなかったが白黒ネガにあるかも?

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 昨日の続き、横田36の降り、この時は角の国有地に一時的に残土の盛り土が有って、週末にはマニアや見物人で賑わった。右側の人物はK氏に似ているが果たして誰だったかな。

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 五日市街道上空を通過するブラニフのB707.ブラニフは本国では中南米に定期便を飛ばしていたが、ベトナム特需で日本でも姿を見る事が出来た。機体毎に胴体の色が違って確かレインボーカラーと呼ばれていたように記憶している。スペシャルペイントの元祖といったところかな。
 なおDC-8にはピエールカルダンデザインと言われたサイケな機体が有ったが日本では姿が見られず残念だった。

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 古き良き時代だった1970年ごろの横田。
C-141Aは銀ピカの無塗装だった。

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着陸するT-39Aの向こう側には地元347TFWのファントムの列線。

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待機するEB-57E。

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シーボードワールドのDCー8の前に離陸するEB-57E。

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 1977年4月の横田、ドライブイン前を転がるC-5A。あの独特のファンエンジンの音が耳に残っている。

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 こちらは別の日に撮ったエプロンのC-5A、ギャラクシーにはやはりこの塗装のほうが似合っている。

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 1970年頃の横田の北側滑走路の延長上の八高線には線路防護の為のトンネルが有った。上り下りが自由で基地内の様子を見るのには都合が良かった。

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 またここからはアプローチする機体や離陸する機体の真正面が撮れる場所でも有ったが何時の間にか撤去されてしまったのは残念だ。AR誌のコンテストに入賞したK氏の迫力あるKCー135の煙を濛々と吐いた姿は今でも脳裏に焼き付いている。
 私はイモと呼ばれた横田の常連だったCー141Aで着陸する姿を撮ってみた。

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