2021年05月
横田、1971年2月6日のファントム
この日は土曜日だったが、当時は今と違って半ドン、12時までの勤務だったので終了後横田へ。
現地へ着いたのは午後1時半頃だったろうか。
北風だったのでドライブインでたむろしていると1機のファントムが降りて来た。テイルレターは”HK”初めて見るレターだった。しめしめと思っていると件の機体はエンド迄行って東側へターンしてしまいガッカリ。
後で調べたらgeta-oさんのHPに同じ機体が出ていた。こちらは拝島で着陸を撮っていた。この機体は1機で飛来したので三沢への補充機だったらしい。ベトナムのプーキャットに駐留していた480TFSの所属だそうだ。
この後に降りて来たファントムは地元347TFW80TFSの機体だった。ノータンク姿なのでテストフライトだったようだ。いつもはエンド迄行ってドラッグシュートを切り離すが珍しくドライブインの前を曲がって来た。
1970年、横田のファントム
1970年9月26日、土曜日の横田、この日は曇りのち雨になったようだ。
最近では天気が良くないと飛行場へは行かなくなってしまったが、この頃は週末カメラマンだったので多少天気が良くなくてもせっせと横田へ通っていた。地元にファントムが3個飛行隊あったが、当然週末は飛ばなかったが、週末には外来機が良く飛来した。
はるばるフィリピンのクラークから飛来したFー4D”PN”、通常は2機のペアーで来るがこの時は1機だけ、三沢への補充機だったのだろうか。
三沢から飛来したF-4D”UD”、ユニットカラーは黄色。
お出かけ先から帰って来た地元のF-4C”GL”、347TFWの司令官機、フィンチップを3飛行隊の赤青黄色の3色に塗り分けていた。
最近では天気が良くないと飛行場へは行かなくなってしまったが、この頃は週末カメラマンだったので多少天気が良くなくてもせっせと横田へ通っていた。地元にファントムが3個飛行隊あったが、当然週末は飛ばなかったが、週末には外来機が良く飛来した。
はるばるフィリピンのクラークから飛来したFー4D”PN”、通常は2機のペアーで来るがこの時は1機だけ、三沢への補充機だったのだろうか。
三沢から飛来したF-4D”UD”、ユニットカラーは黄色。
お出かけ先から帰って来た地元のF-4C”GL”、347TFWの司令官機、フィンチップを3飛行隊の赤青黄色の3色に塗り分けていた。
米空軍のT-39A
銀ピカの米軍機
1969年9月、当時の米空軍機はベトナム戦争の影響でベトナム迷彩の機体が多かったが、輸送機などの大型機は昔からの塗装無しの機体がほとんどだった。
Cー141は本国からベトナムへの中継基地として横田に頻繁に来ていたので”イモ”とよばれマニアの中には無関心な人もいたが、私はそこそこ撮っていた。A型はその後白とグレイの塗装になって終わったが、B型は白とグレイ塗装から始まり、ヨーロピアン迷彩、グレイ迷彩になった。
横田には気象観測機、WCー135Bが駐留して良く飛んでいたが、こちらも常連マニアには見向きされなかった。
C-130もベトナム戦争前は銀ピカだったが、この頃にはほとんどがベトナム迷彩担っていた。このB型は通常任務ではなかった様だ。
Cー141は本国からベトナムへの中継基地として横田に頻繁に来ていたので”イモ”とよばれマニアの中には無関心な人もいたが、私はそこそこ撮っていた。A型はその後白とグレイの塗装になって終わったが、B型は白とグレイ塗装から始まり、ヨーロピアン迷彩、グレイ迷彩になった。
横田には気象観測機、WCー135Bが駐留して良く飛んでいたが、こちらも常連マニアには見向きされなかった。
C-130もベトナム戦争前は銀ピカだったが、この頃にはほとんどがベトナム迷彩担っていた。このB型は通常任務ではなかった様だ。