2021年03月
3月18日の百里その2
3月18日の百里
52年前の百里
日ずけが1日遅くなったが今から52年前、1969年3月20日の百里はマルヨンが2個飛行隊、206sqと207sqがマルヨンをガンガン飛ばしていた。今の百里と比べると夢のような世界だった。
今と違って陸の孤島と呼ばれていた当時は周辺の道路はもちろん舗装は無く、車が走ると砂埃がもうもうと舞い上がった。また自衛隊機に関心を持つマニアも少なく、私は他のマニアに出会った記憶が無い。
後年、マルヨンは腐食防止でアルミナイズドコーティングされたが、この頃はジュラルミン地の光沢がまぶしかった。
マルヨンのこのフォルムは今でも十分通用するのではないだろうか、
デルマーを付けたまま降りて来た複座、当時の消防車は両側のエンドに待機していた。
レスキューはKVー107。
今と違って陸の孤島と呼ばれていた当時は周辺の道路はもちろん舗装は無く、車が走ると砂埃がもうもうと舞い上がった。また自衛隊機に関心を持つマニアも少なく、私は他のマニアに出会った記憶が無い。
後年、マルヨンは腐食防止でアルミナイズドコーティングされたが、この頃はジュラルミン地の光沢がまぶしかった。
マルヨンのこのフォルムは今でも十分通用するのではないだろうか、
デルマーを付けたまま降りて来た複座、当時の消防車は両側のエンドに待機していた。
レスキューはKVー107。