飛行老人の飛行機話

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2021年03月

 昨日は北門付近の桜が気になって午後から出かけた。
変則フライトでサードが上がったのは午後5時過ぎ、ナイトの時間調整らしい。この時間になると陽炎もほとんどなくなったが、光線状態がイマイチ。桜は5分咲きといったところ、週末には満開になりそうだが、年度末と重なり、フライトは期待できそうもない。

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 おまけ画像、桜がちらり。

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 午後飛来した松島のF-2午後4時過ぎにお帰り。聞くところによると今日は1機で飛来、午後にはカブトから複座型を引き取り、編隊離陸をしたとか。

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 この日はカブトのセカンドが終わってからF-2が3機降りて来た。部隊マークを見ると松島からだった。
通常はオーバーヘッドで来てタッチアンドゴーをして帰るのだがストレートイン。
 1機目は普通より高い高度でスピードも速めの感じ、ノーシュートランディングだった。

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2機目と比べるとその違いが判るだろう。

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 消防車もスタンバイ状態だったのでエマージェンシーだったようだ。松島の天候急変で燃料が不足してSFOに近いアプローチをする羽目にでもなったようだ。午後4時前に3機揃ってお帰りになった。








 日ずけが1日遅くなったが今から52年前、1969年3月20日の百里はマルヨンが2個飛行隊、206sqと207sqがマルヨンをガンガン飛ばしていた。今の百里と比べると夢のような世界だった。
 今と違って陸の孤島と呼ばれていた当時は周辺の道路はもちろん舗装は無く、車が走ると砂埃がもうもうと舞い上がった。また自衛隊機に関心を持つマニアも少なく、私は他のマニアに出会った記憶が無い。
 後年、マルヨンは腐食防止でアルミナイズドコーティングされたが、この頃はジュラルミン地の光沢がまぶしかった。
 マルヨンのこのフォルムは今でも十分通用するのではないだろうか、

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 デルマーを付けたまま降りて来た複座、当時の消防車は両側のエンドに待機していた。

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 レスキューはKVー107。

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 一昨日はお客さんが来ているというので百里へ出かけたが、午前中に引き払ってガックリ。
気を取り直してランウエイエンドから1マイルほど離れたところに桜が咲いていたので撮影をした。エンドから離れれば離れる程ファイナルのコースが読めずなかなか良い感じでは撮れなかったのが残念。
 北門から見える正門近くの桜並木はつぼみが膨らんできた。来週には満開になりそうだが、桜と入学式の常識は遠い過去の事になってしまった。

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