飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2020年12月

 1979年のIATでは当時の西独海軍の対潜哨戒機、アトランティックがデモフライトを実施した。
P-2Vの後継機として仏国で開発されたが、P-3に比べると運用された国は少なく、仏、西独、和蘭、伊太利で終わってしまった。日本もそうだけどその後P-3を採用した国もある。

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 先週の月曜日、百里の東門近くに並んだスクラップ待ちのカエルが3機、寂しげに並んでいた。
前の防衛大臣はスクラップにするならパーツとして売り出した方が多少なりとも国家に還元されて良いだろうという事でオークションが行われたがその後はとんと話を聞かない。
 人が変われば政策も変わる見本かな、バリバリと壊すのはもったいない気がするね。
左から356,426,369号機。

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 左側にはキツツキのフィルム帯、903が未だいた。



 海保のYS-11、JA8702は1971年11月に取得された。
1983年2月の羽田空港。

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1985年6月、大阪国際空港、北の外れ、新聞社格納庫前のスポット82。
通常は縦置きなのだがこの時はVIPでも迎えに来たのか、整列して出迎えている。

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 1971年7月の入間基地、当時の管制塔は米軍から引き継いだ鉄骨の櫓だった。
最近はセキュリティーが厳しくなって出入りが出来ないが、当時は階段を昇れば途中の踊り場までは簡単に行く事が出来た。エプロンには飛行点検隊の160号機、滑走路上には輸送航空隊の154号機。

入間横田1971JUL0023_R

それから47年後の2018年7月の入間基地、ランウエイ17へのアプローチ、赤鼻から黒鼻に変わっていた。
手前の住宅はほとんど2階建てになり後ろには高い建物が増えた。改めて月日の流れを感じさせる。

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 今日は157号機。
1981年11月築城で撮影した時は401飛行隊のマーク付き。

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それから31年後、2012年10月の那覇、グレイの制空迷彩、エンジンはアリソンになっていた。

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