2020年07月
YS-11、JA8610
昨日は薬散の後、下館で羽田から引っ越してきたJA8610の組み立て作業を公開しているというので行って見た。
開門は10時からというので周辺をウロウロしていたら、YS-11の全機写真が展示されていた。
撮影者は懐かしい大先輩の名古屋の下郷さん、プロフィールもしっかりと紹介されていた。それにしても世界各地にYS-11を求めて良く行ったものだ。下郷さんは根っからのマニアでコンコルドにも乗ったよと聞いた事がある。
展示は組み立て途中でこの日は作業が無かったらしく説明役がいただけだった。消防法の制約があるとかでほんの一部から見るだけだったのは残念。羽田ではタイヤの扁平を防ぐためにジャッキアップしてタイヤを回転させていたらしいが、どうせならハイドロを入れて空自が航空祭でよくやっているギアのアップダウンを実演したら客寄せパンダになるだろうね。ついでにエンジンに火を入れたら良いと思うけど無理だろうね。
開門は10時からというので周辺をウロウロしていたら、YS-11の全機写真が展示されていた。
撮影者は懐かしい大先輩の名古屋の下郷さん、プロフィールもしっかりと紹介されていた。それにしても世界各地にYS-11を求めて良く行ったものだ。下郷さんは根っからのマニアでコンコルドにも乗ったよと聞いた事がある。
展示は組み立て途中でこの日は作業が無かったらしく説明役がいただけだった。消防法の制約があるとかでほんの一部から見るだけだったのは残念。羽田ではタイヤの扁平を防ぐためにジャッキアップしてタイヤを回転させていたらしいが、どうせならハイドロを入れて空自が航空祭でよくやっているギアのアップダウンを実演したら客寄せパンダになるだろうね。ついでにエンジンに火を入れたら良いと思うけど無理だろうね。
今日は薬散へ
予想に反して今朝起きたら晴天だったので、今日から始まった筑波山西側の水田地帯での薬散に出かけた。
2年ぶりだったので下りるインターを間違えて加波山の山越えをする羽目になってしまい、現場はあきらめて夜間駐機場へ。こちらも記憶が曖昧でうろうろして現地着がかなり遅れ、着いた時には早くも3機が帰って来ていた。
JA9370、佐賀航空。
あとはすべてヘリサービス、JA9474。
JA9777。
その後順次6機が帰って来た。
JA9801。
JA9869。
JA9737。
JA9470。
JA6190。
JA6061。
集合風景、最後の機体が帰ってくる前に先に帰って来たヘリはもうカバーをかけてしまった。現場でウロウロしていたら全機制覇は出来なかった。
2年ぶりだったので下りるインターを間違えて加波山の山越えをする羽目になってしまい、現場はあきらめて夜間駐機場へ。こちらも記憶が曖昧でうろうろして現地着がかなり遅れ、着いた時には早くも3機が帰って来ていた。
JA9370、佐賀航空。
あとはすべてヘリサービス、JA9474。
JA9777。
その後順次6機が帰って来た。
JA9801。
JA9869。
JA9737。
JA9470。
JA6190。
JA6061。
集合風景、最後の機体が帰ってくる前に先に帰って来たヘリはもうカバーをかけてしまった。現場でウロウロしていたら全機制覇は出来なかった。
L1011その7
L1011その6
国内へ戻ってA社の後期塗装。
JA8514、1982年12月11日、今は取り壊されて更地になった大阪国際空港のハンガーに頭を突っ込んでいる。
この機体が後期塗装の初号機だった。B767の導入に合わせて塗装変更になった。
JA8515,1984年2月16日、大阪ランウエイ32Lを離陸。
JA8515、翌々日雪の解けかかった大阪国際空港の51番スポット、背景は宝塚の山。
JA8520、雪の羽田空港、14番スポットからランウエイ04に向けてプッシュバック。タグ車はL1011に合わせて導入された米国、ペイムーバー社の”平タグ”。胴体の下でも作業できるように車高が低く抑えられている。格納庫内の作業では胴体下での作業が行われたそうだが、屋外では潜ってのトーイングは行われなかった様だ。
トーバーの付け替えをしなくても済むように前後に運転席がついているが前方は運転席が上に上がって視界が良かったが、後方は上に上がらず、左側の視界が確保出来なくて運転手は苦労したそうだ。
JA8518,1990年3月26日、伊丹カーブを旋回する。千歳か那覇行きでキャセイ並みの低い上がりだった。
JA8514、1982年12月11日、今は取り壊されて更地になった大阪国際空港のハンガーに頭を突っ込んでいる。
この機体が後期塗装の初号機だった。B767の導入に合わせて塗装変更になった。
JA8515,1984年2月16日、大阪ランウエイ32Lを離陸。
JA8515、翌々日雪の解けかかった大阪国際空港の51番スポット、背景は宝塚の山。
JA8520、雪の羽田空港、14番スポットからランウエイ04に向けてプッシュバック。タグ車はL1011に合わせて導入された米国、ペイムーバー社の”平タグ”。胴体の下でも作業できるように車高が低く抑えられている。格納庫内の作業では胴体下での作業が行われたそうだが、屋外では潜ってのトーイングは行われなかった様だ。
トーバーの付け替えをしなくても済むように前後に運転席がついているが前方は運転席が上に上がって視界が良かったが、後方は上に上がらず、左側の視界が確保出来なくて運転手は苦労したそうだ。
JA8518,1990年3月26日、伊丹カーブを旋回する。千歳か那覇行きでキャセイ並みの低い上がりだった。