飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2020年06月

一週間程前の17日、この日も青がエプロンに出ているとの情報が有り、急遽出かけたが空振りだった。
しかしカエルのセカンドの上がりは頭を押さえた低い上がり。
特に3番機はズルズルと地面を這うような感じ、高度は5m以下だろう、陽炎の影響があったのが残念だった。

DSC_9423_R

DSC_9433_R

DSC_9442_R

この日は外来デーか、浜松からT-4。

DSC_9456_R

入間からは慣熟飛行のU-683がローパス。

DSC_9511_R

外来エプロンに居たF-2B、最初に上がったのはノーマーク、2機共にパイロットは1人、機体の引き取りに来たようだ。

DSC_9570_R

DSC_9575_R





今日は前線は南下していたが、当地は北東気流が流れ込み雲底が低く霧雨も降り条件は悪かったが、カエルの青と黄色が並んでいるとの情報が入り、予定外の出撃。
セカンドで青を先頭に黄色、ノーマルと3機離陸、やっと背中を拝む事が出来た。

DSC_9642_R

着陸は機首アップ狙いで田んぼへ。


DSC_9675_R

サードは期待した通りの3機並びでラインナップ。

DSC_9690_R

DSC_9696_R

着陸はカブトの上がりと重なったがこの時間の定例作業でウエストへは来なかった。

DSC_9744_R






この航空ショーには今でも世界各地で飛んでいるFA-18の原型機、ノースロップYF-17Aが参加した。
当初は空軍のF-4の後継機として試作されたが、YF-16との戦いに敗れ海軍に拾われたという曰く付き。
エンジンが双発の為値段が高く付くが、安全性に優れたのが理由だったとか、確かにいくら信頼性が向上したといっても外部的な要因でエンジンが止まることは無いとは言えないからね。海外の空軍でもそれが理由で導入したと言う話しを聞いたことがある。
この時は通常展示エリアで展示していてデモフライトの度にトーイングしていた記憶がある。1機しか参加しなかった機体にこのパターンが多かった。

ファンボロー197609080020_R

ファンボロー197609120039_R

大きなトレードを目的とした航空ショーでは現役機はほとんど参加せず、ほとんどが売り込みを狙った新型機が参加する。
今となっては見慣れた機体でも当時は新鋭機、米国からも何機か軍用機が参加した。
入間の航空宇宙ショーに参加したF-15は同じ機体が来てガッカリ。欧州では高価すぎたのか採用した国は無かった。

ファンボロー197609120038_R

F-5AをリニューアルしたF-5Eも参加、こちらはスイス等が採用した。

ファンボロー197609080011 (2)_R

A-10Aも参加したがこちらも採用した国は無かった。

ファーンボロ197609120035_R







前に紹介した”シャックルトン”の原型機”ランカスター”のポジが見つかった。
1976年9月、米国へは何度か行ったが欧州は初めて、たまたま日程がファンボローエアショーと合ったツアーがあったので英国へ出かけてきた。この時は市内から列車とバスで会場へ向かったがバスの車内で車掌が”YES
PLEASE"と連発していたのが何故か記憶に残っている。最初は何かなと思ってみていると運賃を頂戴といっているらしいことが判明した。なぜかつまらないことが記憶に残るものだ。
さて会場では後で知ったが、英国のエアショーではおなじみの”バトルオブブリテン メモリアル フライト”の第二次世界大戦で活躍したランカスター。スピットファイヤー、ハリケーン等のデモフライトがあった。
当時でも戦後31年も経つのにこれらの機体が飛んでいる姿を見られるとは思わなかった。

ファンボロー197609120033_R

ファンボロー197609120030_R

ファンボロー197609120031_R

ファンボロー197609120032_R

ファンボロー197609120034_R





↑このページのトップヘ