飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2020年05月

1974年7月、201飛行隊が解散すると聞き、急遽千歳へ行ったが、時既に遅く、マルヨンは格納庫内にぎっしりの状態でフライトは無かった。1機だけエプロンに出ていた201のマルヨンを撮っただけで退散した。
仕方が無いので丘珠へ転進。こちらは陸自の機体が飛んでいた。
L-19Eは未だ現役で第五、第十一飛行隊、北部方面隊などが稼動していた。

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シドニーその2、まずはカンタス航空、当時はB747が全盛時代だったが長距離型のSPを使っている会社は少なかった。

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オーストラリアン航空のA-300、以前はTAAだったがいつの間にか名称が変更されていた。その後カンタスに吸収された。
尾翼にカンガルーが描いてあるのはその前兆だったのか。

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イーストウエスト航空のF-28、日本名にすると東西航空。

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イースタン航空のEMB-110。

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こちらもリージョナル、ハーッェルトン航空のPA-31。

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先の尖った飛行機が続いたのでたまには先の丸い飛行機を。
1980年代の半ば(スライド枠に日付が入ってないので不明)2回目に訪れたシドニーではアンセット航空が未だ元気だった。1990年後半にはスターアライアンスにも加盟して、関空にも乗り入れを果たしたのだがその後倒産してしまったのには驚いた。
アンセットにはシドニーからメルボルン迄乗った事があるが、機内で面白い出来事があったのが記憶に残っている。同じ便に地元の高校生の団体が乗り込んできたが、CAが安全設備のデモをする際に手じかの高校生を立たせて即席のデモをさせたところ仲間たちから喝采された。
1970年代に見た時は赤と黒の帯だったがかなりイメージチェンジしていた。多分この塗装は2代目)
B-737。

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B-767、タイトルが違っている ( Cock Islands International )がリースしたのかな。

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F-50、こちらもタイトルが違う( Air New SouthWales )が子会社のリージョナルエアだろう。

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1991年のタイガーミートには14カ国が参加した。タイガーミートは毎年NATO内の各国の虎にちなんだ飛行隊が持ち回りでホストになる。この頃は未だマニア向けのイベントは開催されなかったが、その後スポッターズデイと称してマニアに開放される日が設けられ大勢のマニアで賑わっている。
1991年当時は各国の使用機種も色々あって面白かったが現在はF-16が主役でバリエーションも少なくなってしまい魅力が半減してしまった。
ホストスコードロンの英国F-4Mの尾翼には参加各国の国籍マークが描いてあった。色違いの二重丸印、どれが何処の国かサッパリ判らない。

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英国からはトーネードーも参加したが、こちらは手抜きのステッカー。

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トルコ空軍のTF-104G。

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在欧米空軍多分BTのF-15C。

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ドイツ空軍からはRF-4Eとアルファジェット。

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トラトラトラと言っても真珠湾攻撃の話しではなく、1991年のフェアフォード。
この年はタイガーミートがフェアフォードで開催され、その後IATが有った為に参加機が大挙して展示された。
中でも全身虎塗装をしたポルトガル空軍のG-91R/3は秀逸の昨と言えるだろう。

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仏空軍もCM170R ”マジステール” とミラージュF-1Cが全身虎塗装だった。

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