飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2020年01月

今は立ち入りが出来なくなってしまったが、1992年頃はアラートハンガー南側のアーミングエリア横のフェンス沿いは格好の撮影ポイントだった。此処では脚立が軟らかい土にめり込んで脚立から転落したという苦い思い出がある。注意書きには変形したものは使用しないようにと書いてあるが、今でも愛用している。
1992年6月25日、ビックリしたのは戦競用と思われる青いグレー二色のファントムが転がってきた事だった。
多分この日が初お目見えだった様に思う。それにしても当時は飛ぶ機数が多かった。

百里199206250014_R

百里199206250012_R

フィンチップ青黄色塗り分け星無しは前年度戦競参加の隊長予備機か。

百里199206250013_R

真ん中の327の二つ星は戦競参加時、2佐の階級を表しているらしい。

百里199206250009_R

サンサンも退役間近、後継のT-4と並ぶ。305号機はファントムも305飛行隊に在籍していた。

百里199206250011_R




1979年8月14日、この頃は未だ週休2日になっておらず、しかもお盆休みも無かった。
久しぶりに関西から帰省して百里へ、今となっては貴重なグレイのキツツキを撮る事が出来た。
残念ながらこの塗装は迷彩が開始されて短い期間で終わってしまった。
RF-4Eの901はその後塗装を変えながら結局最後まで残る事になった。

百里197908140001_R

百里197908140017_R

百里197908140004_R

オマケは当時のT-33。

百里197908140028_R




記録が無いのでハッキリしないが1990年頃次期対潜ヘリにSH-60Jが決定し、51空で運用テストをしていた頃の公開日。雨上がりだったのでエプロンには水溜りが。チョット拝借した。

館山0020_R

館山0018_R

オマケは1978年、岐阜の南側の長良川。岐阜の離着陸の空いた時間に南の方でヘリがホバリングをしていた。駆けつけると河川敷の林の空き地でホバリング訓練をしていた。正面からも撮ったがカメラを構えたおじさんが林の隙間から姿を現したのを見た見たPさんはビックリしただろうね。
小牧救難教育隊のS-62A。

岐阜197807210021_R








1985年1月7日の館山は飛行始めだった。
飛行前だったか飛行後だったか定かではないがエプロンに在庫一掃か横一線にずらりと並べてくれた。
一番奥には南極観測船だった”ふじ”搭載の南極塗装の機体が2機見える。
今考えれば整備用の脚立を借りて俯瞰撮影すれば良かったと後悔。

館山198501070003_R

館山198501070004_R

館山198501070008_R

館山198501070009_R




1984年2月、雪が降った翌日に百里へ行ったが、期待した晴天にならずガッカリ。この辺りは朝晴天でも太陽が上がってくると雪が蒸発して雲が発生してくるので仕方が無いね。
北国とは違って根雪にはならないのでタクシーウエイも地肌が出て反射が無い。ピーカンだったら多少は有るかも知れない。
明日はこの辺り、雪は降らないといわれているがはたしてどうなるか。

百里1984FEB0039_R

百里1984FEB0038_R






↑このページのトップヘ