飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2019年02月

 まずは朝のランナップ。

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 E-2は南の空へ。

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 キツツキの上がり。

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 ファーストのカエルのお帰り。

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 美保からのお客さんの上がり。

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 セカンドのオジロ、激捻りに感謝。

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 子オジロのお帰りも激捻り、後席からしっかり見られていた。

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 ユージングランウエイは21なのに03へアプローチして来た宇都宮のUH-1、上がりは21。

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 昨日白オジロが飛んだという話しを聞き、今日は天気が回復すると言う予報で出かけてみたものの、柳の下に2匹目のドジョウは居ないと言う諺どおりだった。
 朝一で飛んだカエルはもやっていて高い上がり、その後のオジロはノーマルの編隊離陸で期待外れ、その後のキツツキはキャンセル?更にセカンドは飛ばず、何でかなーと思っていたらラジオで築城でF-2が落ちたらしいとの事。ガックリしてRTB。
 という事で今日は一昨日の帰りがけに撮ったカエルのお帰りから。いつもの順光ではつまらないので反対側で胴体下面への反射を狙ってみたが思ったほどの反射が無かった、残念。

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 昨日は晴天の下、多分最後の撮影飛行が実施された。4回目になるが、今回は初めて午後のフライトだった。本当は21だったので午前の上がりを期待していたのだけれど編隊だったからまあ良いかな。風向きから判断したとおり通り過ぎてから重なったがもう少し上下に離れてくれた方が良かったね。というかもう少し前へ行けば良かった。

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 帰りは午後4時ごろ、撮影場所に迷ったが離陸を撮った場所で待っていたほうがやはり良かったようだ。

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 ドラッグシュート狙いでエンドで待っていたが若干陽炎が残っていて、思っていた構図が撮れなかった。

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 今日は久しぶりの晴天だったので百里へ出かけたが、すごい人出だった。オジロのファイナルが近いせいだったのかな。
 朝から白黒は揃ってエプロンに出ていたが午前は撮影会、それでも午後3時前には揃って飛んでくれた。編隊離陸をしたけど真ん中辺りに居た人達はどうだったのかな、空港の南側でも若干機体が重なってしまったが。
 さて今日は編集が出来ていないので昔の画像から、この時は基地内で撮影していたのだがすっかり記憶から抜け落ちていて思い出せない。
 1977年5月、当時は未だ航空団の統一マークがついていない創設時のマークだった。

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 1982年8月は西独の後和蘭のマルヨンを訪ねてフォルケル基地へ。
田舎道を地元の車がガンガン飛ばすので付いていったら時速100km近かった。
怖かったので速度を落としたが80kmぐらいは出ていた気がする。フォルケルの特徴は外からエプロンが見えない、また管制塔も背が低くてこちらも外から見えなかった。撮影ポイントは北西エンドで転がりは逆光になるのが難点だったが、林の中から現れるマルヨンの姿には感激した。この場所は私有地で放牧場で牛が近寄って来るのには、チョットチョット状態だった。またこの基地のモーボは半地下構造になっていて平和な日本とは大違いを思い知らされた。
 偵察ポッドらしき物を付けたタンク無し。

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 こちらはカメラポッドらしい、4本タンク。

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 複座型も4本タンク付き。

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 滑走路上に並ぶ、エンジンの排気はIHI製に比べると濃かった気がする。

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 タンク無しの転がり。

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