飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2018年12月

 1983年7月23,24日に開催されたIATはグリーンナムコモンでの最後(米国の巡航ミサイルを配置する為だったが反対運動により中止、後に基地は閉鎖)、次回の1985年からは現在のフェアフォードに移転、その後RIATと改称された。
 この年はF-4”ファントムⅡ”誕生25周年と言う事で英米独から29機のファントムが参加、27機が展示された。(2機はデモフライト用) 2個飛行隊分も展示されるとは今考えるとかなり豪華だったね。
 展示飛行の合間に地上展示の機体を撮らねばならないのでじっくり撮っている暇が無く雑な撮り方になってしまったのが悔やまれる。展示機の前には色々な塗装の模型がテーブルの上に並んでいたが残念ながら日の丸ファントムは見当たらず、今と違って極東のファントムは英国では人気が無かった様だ。

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 まずは日本ではおなじみのUSAF,しかし展示されたのは日本では見られないUSAFEの機体、西独ラムシュタイン駐在、86TFWのF-4E(RS0840)、大きなシャークマウスが描かれていた。

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 今日は急遽成田へ。夕方4時ごろに怪しげな飛行機が来るらしいとの天の声が聞こえてきたが、多分遅れるだろうと思い迷ったが高速の休日割引があるのでGO!
 午後4時前になって西の空に雲がかかり、日没は遅くなったもののやはり到着は
大幅遅れ、かなり暗くなった40分過ぎに到着。夜道を帰宅したら午後7時、結果も良くなく疲れが倍増なので手抜き。
 画像は先日の沖縄へ行った際に信号待ちで見かけた鳥居。読谷へ行った際の帰りがけ偶然見かけた。ここにもヘリポートがあるらしいがなかなか撮れるチャンスは無い。

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 1982年1月、雪の反射を期待して三沢へ行ったが期待に反して雪は無かった。
当時はマニアの姿を見かけることは無く、一人、着陸コース近くの撮影ポイントの枯れ草の茂みへ。
 そこへ思いがけないファントムの姿、301、305、303、306飛行隊の前年の戦競塗装機だった。百里、小松で撮影したが、まさかこんな所へ来ていたとは夢にも思わなかった。5空団と7空団の対戦だったのだろうか。
 301,305はかなり濃い目の青みがかった灰色、303は明るい青みがかった灰色、306は独特の濃い青と灰色の境目がハッキリした迷彩塗装だった。

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 那覇公開の楽しみでもあり、苦しみ?は土曜日のナイトフライト。
日没後にF-15の離着陸を見せてくれると言うものだが今回は気象条件?により
フライトはキャンセルしたが転がってくれた。しかしエンド迄転がったもののなかなか戻ってこず戻りを待ってから白オジロの夜景を撮りに行ったら追い出しが始まった。オペレーション前で照明が綺麗に当たったので何とか撮影出来たがF-2は失敗。

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 落書き?では無く整備員のライトの軌跡。

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 このところ恒例の那覇公開の翌週は嘉手納詣で、今回は天気は良くなくトラフィックも少なかった。飛んだ飛行機の数よりも道の駅にたむろするマニアの数の方が多かった気がする。それでも月曜日から徐々にマニアの数は減っていったが。
 初めて撮ったオージーのP-8、小雨模様だった。翌日は普天間でバイキングを待っていたら嘉手納から上がったオージーの声がラジオから聞こえてきた、まさか連荘で飛ぶとはね。

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 本家のP-8はRDのレター入り、部隊マークが無いと味気ないけどノーレターよりはましかな。

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 前日虹の中を降りたKC-10が離陸、3発機は貴重品。

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 国道58号線から横田ハークを植木越しに。

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