飛行老人の飛行機話

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2016年10月

 厚木に続いて1969年3月23日の横田、この頃はベトナム戦争の関係でベトナムと本土をかなりの民間チャーター便が往復、横田が給油地点になっていたようで、色々な航空会社が見られるのも楽しみの一つでした。
 サターン航空のDC-8。

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 アメリカン航空のB707,今の塗総よりはセンスがあったように思います。

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 パソコンで編集したワンツーワン、大放出。
 最初に見たのは1966年5月の厚木三軍記念日、田舎からはるばる4時間以上かけて出かけました。当日はあいにくの雨でしたが、そのうちに雨も止んで薄日も差したように記憶しています。近くに空母が居たらしくA-4,F-4,RA-5Cや空軍からもF-100,F-105などが展示されましたが流石にEC-121は展示されずエプロンの北の外れに並んでいました。何とか撮れないものかと格納庫の裏側道路に行くととくに規制も無かったのでテクテク、流石に近くまで行くのはためらわれ、引込み線の辺りからの証拠写真となりました。後で聞いたところでは手前のPR22は奥の右向きの火災を起こして機能不全になった(旧PR22)の後継機だったとか。50年後になってわかりました。
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 3年後の1969年3月に厚木を離陸するPR26。
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 1970年午後、横田の18に着陸するJB925、マニア間ではロードランナーと呼ばれていましたが、拡大してみると”パイサーノ”、この機体は年に1,2回しか来日せずなかなかお目にかかれない貴重品でした、何故かこの時は逆光側にいて悔しい思いをしました。
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 1970年頃横田のランウエイ36にのる空軍のRC-121D、外見は海軍のEC-121とよく似ています、この後上側のレドームを外したT型が現れましたが上のレドームが無いと違和感を覚えました。
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 3月24日の最終回はジェット機、
 VRC-50のCT-39E、RG101が離陸、高い高い。

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 EA-3B,PR6が低い上がり。
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 ニッピからノーマークのA-4Eがテストフライト、ランチェン後に戻り。

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EA-3B、PR-2も離陸。
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 CT-39E,RG102が何処からかお帰り。
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 休日でも今と違ってそこそこのフライトが有りましたがマニアの数はせいぜい1桁か2桁をちょっと超えるぐらいでした。
 

 3月24日の厚木、今日はターボプロップ編。
 C-130F、
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 空軍のC-124、おっとこれはレシプロでしたね
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 C-2A、
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 当時の新鋭機、EP-3B、ランウエイチェンジで19から離陸、しばらく飛んでから降りてきました。確かこれが撮れれば良いなと思って出かけたはず。
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 外来のP-3B、

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 空軍のC-130Eはタッチアンドゴー、横田をホームベースにしていた私はガッカリ、しかしシャッターはしっかり押しました。

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 画像を良く見たら3月24日の厚木ではその他にもUC-45が01で上がって19で降りたり、
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 岩国からC-117が来たり、

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 別のEC-121が低い上がりをしたりとピストンエンジン音がしていました。

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