飛行老人の飛行機話

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2012年06月

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1970年頃のアメリカの航空会社と言えば我々にはパンナムとノースウエストでした。

横田ではノースウエストは良く見かけましたが、パンナムはあまり見かけなかったように記憶しています。

パンナムはこの後会社名を大描きしましたが、まさか倒産するとは思ってもいませんでした。

私も初の海外旅行、西海岸はパンナムのB747でした。

その後イギリスへ行く時にはニューヨーク経由で往復した思い出があります。
この時がB747SPに乗った唯一の経験になってしまいました。

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今日はcdr-godさんからリクエストのブラニフです。

が、撮影フィルムがエクタクロームやF社、S社のポジの為退色が激しく色補正が効きません。
やはりコダクロームは偉大です。

さてブラニフは覚えているだけでも青、黄、オレンジ、赤、黄土、緑があったように記憶しています。

3枚目は黄色っぽく見えますが夕日の影響ではっきり判りません、N17097です。
興味のある方は自分で調べてくださいね。

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昔は米国のチャーター会社、フライングタイガーを略してフラタイとマニア仲間では読んでいましたがフェデックスに吸収合併されてしまいました。

その後フラタイの元社員融資によりポーラーカーゴが設立されたと聞いています。

確かに尾翼のマークの外側の丸い輪にその名残がうかがえますね。

撮影した1968年12月28日頃にはB-707からその後主力になったDC-8-63Fが増えつつありました。

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前日に続き横田の昔、1970年頃、1969年か?

この頃岩国に展開していたVMFA232(WT)とVMFA334はファントムの最新、J型でした。

この両方の部隊は何故かクロスカントリーに厚木よりも横田へ良く来ていました。
もしかしたら六本木へ行くのに交通の便が良かったのかも?

両部隊共に塗装はマイナーチェンジがたびたびあって、部隊マークが胴体に書いてある時期もありました。

VMFA334はその後解隊されましたがVMFA232はFA-18に機種変更して今また岩国に駐留しているようです。

撮影は36、北側エンド付近、WU17はハイレートか翼端からベイパーを曳いていました。

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1970年頃の横田には未だレシプロの輸送機が飛んでいました。

エアアメリカはDC-4とB-727を飛ばしていました。

一方空軍はC-54やC-118が健在、C-47も見かけました。

タイ空軍のC-123は国連のマークが付いていたので38度線の関係で国連軍の一部として横田と韓国を往復していたようですがいつの間にか居なくなってしまいました。

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