飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2012年04月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

今日は久しぶりに青空だったので百里へ出かけました。

ファーストのオジロは4機しか飛ばず、簡単にフルストップで終了。

梅組は4+4の8機、気合の入った離陸を見ると、どうやら戦競モードのようです。
セカンドも同じ編成でした。

入間からのお客さんは3つ桜、何処かの司令官?

救難のUH-60は珍しく編隊のままランディング。ベースレグの外側に居た為離れた絵になってしまいましたが、この後このコンビが見られる事はないでしょうね。

午前のスカイマーク神戸便はハート、菜の花は桜よりも開花期間が長いのが良いですね。

イメージ 1

イメージ 2

1990年10月にはTu134も未だ定期便で飛んでいました。

イメージ 1

イメージ 2

1990年の旧東独訪問では東側の玄関口、シェネフェルト空港へも行きました。

ベルリンの南部にあるこの空港はテーゲルに比べるとトラフィックは少なく待ち時間の方が長かったですね。

現在は拡張工事中で完成すれば、テーゲルは閉鎖して定期便はすべてこちらへ移るとかいう話も聞きました。

1990年はまだインターフルークも登録記号をDDRからD国籍に換え飛んでいましたが翌年には飛行停止状態でした。

IL62も未だインターフルーク塗装もありましたが、2機ほど空軍に移管されフランクフルトとの間を政府関係者の通勤便として日に朝夕2回、飛んでいました。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

今日は飛行機の話題は小休止、近所の常陸大宮市の久慈川沿いの辰ノ口親水公園へ今年90歳になる母を連れて花見に行って来ました。肌寒い気温のせいかまだかなりの桜並木が綺麗でした。

人出は少なく、山頂の豪華な展望台には人っ子一人もいないという寂しさでした。
山桜も寂しげです。

帰りは村内の北中入口で桜と菜の花のコラボが綺麗でした。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

1990年10月に訪れた旧東ドイツでのメインターゲットは赤い星の戦闘、攻撃機でしたが、
いかんせん今と違ってインターネット等という便利なものはなく、かなり月遅れの海外の航空誌がたよりでした。

これも参考程度でやはり行って見ない事には状況が判らず出たとこ勝負でした。

後から判った事は現地でマニアからの情報でしたが、戦闘、攻撃機のフライトは技量維持程度の週1~2回に制限されていたという事です。

これはマニアにとっては死活問題、1カ月の休暇でも有れば別ですがせいぜい1週間の休暇では中5日程の余裕しかなくあせったものです。

行った基地で中を除いて列線に並んでいなければ次の基地へとハシゴをしたものです。

そんな中でもヘリコプターは連絡飛行が有るらしく結構飛んでいました。

今でこそ各地の航空ショーでもお目にかかれるミル8やミル24でも撮れれば嬉しかったのを覚えています。

↑このページのトップヘ