飛行老人の飛行機話

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2011年11月

 提言のその2は再生というより活用法です。
 
 民間空港としての少ないトラフィックを活用?して自衛隊基地として活用するものです。
 
 松島基地は津波の被害に弱いことが今回の地震で証明されましたが、津波対策には防潮堤の建設にしても
 
 かなりの費用が見込まれると思われます。
 
 そこで松島は予備基地に留め、新たに基地を福島に移すのはどうでしょうか?
 
 福島空港の西側は山を削ってあるため斜面を掘ってシェルターを建設するのに適しています。
 
 斜面が東を向いているため西側からの攻撃に抗堪性があります。なぜなら東側斜面を攻撃するには東側へ
 
 大回りする必要性があり、防御側には時間的余裕が生まれるからです。
 
 現在の日本の基地はアメリカの影響でほとんどが攻撃に無防備なエプロン運用方式を採用していて、一旦
 
 攻撃を受ければ壊滅的な打撃を受けることは必至です。
 
 最近はその反省からか千歳、三沢、小松で部分的に採用されているぐらいです。
 
 ヨーロッパや日本近辺ではシェルター運用や地形を利用した分散配置などが常識なのですがね。
 
 昔行ったスウエーデンの基地では近くの高速道路まで誘導路がつながっていて途中には駐機スペースが
 
 あったのには驚かされました。
 
 もし福島基地を運用するならば百里の部隊を福島へ、松島の部隊を百里へ動かすのが良いのではないかと
 
 考えます。

 福島空港へは今1日当り、伊丹便がCRJで4便、千歳便はB737が2便(11月は夕方の1便のみ)と寂しい
 
 ローカル空港になってしまいました。
 
 国際線も週5便あったのですが、原発事故以来運休状態が続きそのうち廃止になる可能性が大きいですね。
 
 開港当時は2000mだった滑走路も先見の明の無い当時の県知事の鶴の声で延長工事ではなく、2500m
 
 滑走路の新設という暴挙が行われました。
 
 結局2500m滑走路が有効に使われたのは3年ほど前のJALのB747、ハワイチャーター往復だけだった
 
 ようです。
 
 震災以前から客況が振るわず、JAL,JTAは完全撤退、ANAは子会社のエアドーにコードシェアの名の下に
 
 譲ってしまいました。
 
 また法政大学がアルファアビエーションにパイロット訓練を委託していたようですがいつの間のか解消して
 
 しまったようです。
 
 このままでは赤字が雪だるま式に増えるばかりですが、どうするのでしょうかね。
 
 さてそこで提言ですが航空ショーを開催してはどうでしょうか?
 
 首都圏からも新幹線で2時間以内、高速道路もつながっているのでアクセスは良好です。
 
 何といっても観客席は西側斜面をそのまま利用できるので施設面でも有利です。
 
 エプロン地区が狭いのが難点ですが、エプロンから滑走路に出る誘導路を残して展示エリアにすれば確保
 
 できるでしょう。
 
 何といっても目線の下を飛ぶ飛行機は魅力的です。
 
 震災復興エアショーと銘打って近隣諸国(韓国、中国、台湾、ロシアなど)のアクロチームでも呼んだら入間
 
 以上の人出になるかもしれませんね。
 
 ぜひとも検討してもらいたいものです。

 4日続いたドカチン、今日の部は終了しました。
 
 慣れない作業で足、腰にかなり来ています。一緒に作業したメンバーで私より10歳も年上なのに私より元気
 
 でした。50年前ならば私の年齢ではもう楽隠居の身でしたが、高齢化が進む田舎ではなかなか隠居させて
 
 もらえません。
 
 という事で今日は簡単に、スキャンしてあった在庫の中から、百里のRF-4Eにちなんで20年ほど前のオース
 
 トラリアのダウンアンダーエアショーで撮影したネバダANGのRF-4Cです。
 
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 この頃のオーストラリアでのエアショーでは米軍機はほとんど見かけませんでしたが、何故かすでに退役間近
 
 かのRF-4Cが来ていました。まさか売り込みでは無かったと思いますが、演習で近くまで来ていたのでしょう 
 
 か?
 
 ハイローラーズのRF-4C、私にとっては最初で最後の出会いになってしまいました。
 
 
 

 今日はなれないドカチン作業3日目です。かなり体の節々が痛いです。
 
 今回の作業チームは順番で廻って来た町内(集落)の土地改良区の役員です。
 
 今回のメンバーでは一番若手の私ですが、平均年齢は70歳弱、皆さん現役の百姓、元気です。
 
 さて、今日で福島のB787は最終回です。
 
 羽田からの到着から遊覧飛行まで時間があったのでターミナル近くへ見物に行って来ました。
 
 通用口近くに泊っていたパトカー、後で気がついたら兵庫県警でした。まさかB787の為に来たわけではないで
 
 しょうが、震災復興支援で来ていたのでしょうが、ちょっと寄り道したのかな?
 
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 今は使用していない国際専用の保税地区が開放されていました。おかげでアップ写真も撮れました。
 
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 機首のR1ドア下にETOPSの文字が見えますが、これはある程度飛行実績が無いと認められない運航方式の
 
 はずですが、まだ路線就航間もないのに不思議です、ルールが変わったのでしょうか。
 
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 L1011以来久しぶりにANAに採用されたRR、L1011の時はオイルラインにクラックが入り飛行停止がしばらく
 
 続いた実績を持ちますが、今回は大丈夫でしょうね、エンジン音はかなり静かですね。
 
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 垂直尾翼面積はB767に比べるとかなり少なくなっていて違和感を覚えるのは私だけでしょうか。
 
 更に枠で仕切ったエプロン地区も遊覧飛行終了後開放されたようです。
 
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 この画像はトンネルの手前の藪の中をかき分けて撮りました。

 まだまだ続きます、今日は遊覧飛行の着陸編です。
 
 ローパスを終えて南の空へ向かったB787はVORアプローチして来ましたがまたもやレフトターンで白河方面
 
 へ。
 
 かなり大回りにランウェイ01のILSコースに向かいました。この時点で予定時間を大幅に超過していました。
 
 その後無事ランウェイ01に着陸したB787はリバースの効きが良かったのか、今回はエンドまで行かずT-2
 
 へ。
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 この後私は斜面をダッシュ、フェンス際まで駆け降りました、忙しかったです。
 
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 ターミナルの展望デッキには大勢の見物人が見えます。背景の紅葉も綺麗でした。
 
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 何時もはフェンス際まで行くと飛行場内を周回している警備員に注意されるのですが、この時は偶々か警備員
 
 の姿は見えませんでした。
 
 

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