飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2010年09月

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 1970年代から1980年代の伊丹には定期便でB707が乗り入れていました。

 時々チャーター便やダイバート便が来るのがマニアにとっては楽しみでした。

 アルゼンチン空軍のB707は緊急に必要になった機材を引き取りに来たと聞きました。

 ちょうど地球の裏側にあるのでアジアではここからの定期便はほとんど見かけません。

 AMI、エアマニラ インターナショナルはマニラから羽田へチャーター便を飛ばしていましたがいつのまにか姿を消してしまいました。

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 今日は今某BBSでホットな画像が出ているB707の画像で出してないのをこちらで紹介します。

 1970年代後半にはB747が次第に長距離国際線の主役になりつつありましたが、B707もDC8とまだ健在でした。

 ヒースローでもアフリカ、中東諸国からはまだB707が飛んで来ていました。

 また旅客型から貨物機に改造された機体もかなりありました。

 私のB707搭乗は伊丹からソウル経由でアメリカへ行った時のKAL(伊丹ーソウル)、伊丹から羽田経由で行ったアメリカへのPAA(伊丹ー羽田)、ロンドンから帰りにアンク経由便から香港経由に変更されて香港から成田へのキャセイ、おっと最初は鹿児島からポートモレスビー経由で行ったシドニーなど数えるほどしかありませんでした。

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 今日は某BBS用に在庫を探していたら最初に行ったエアタトーのポジが出てきたのでついでにスキャンしました。

 1981年6月にはフェアフォードに移る前のグリーンナムコモンで開かれていました。

 当時も今と変わらずアライバルデーにはヨーロッパ各地から多くのマニアが集まっていました。

 会場は東西滑走路の北側で晴れれば逆光と条件は良くなかったですね。

 薄曇り位が良い感じでした。

 また機種も今のように1機で多機能を持たないため個性的な機体が多くて、特に英国機は面白みがありました。

 3Vボマーと呼ばれたバリアント、ビクター、バルカンもそれぞれ個性的でしたが、私はビクターの三日月翼に惹かれました。残念ながら私が行った時はバリアントは既に退役していました。

 対潜哨戒機ではまだニムロッドが出来たばかりで、ランカスター空の発展型のシャクルトンが飛んでいました。

 シャクルトンにはその後、南アフリカで再開しました。タトーにも一度予定が入っていたのですが途中で故障してキャンセルになったそうで残念でした。

 1995年の南アフリカでの航空ショーでも予行では飛んだのに本番では調子が悪く転がっただけで終わってしまいました。

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 昨日は朝から成田へ行ってました。

 6時の運用開始から行くつもりが、寝過ぎてしまい急いで行くも休日にしては車が混んでいてしかもノロノロ運転、朝一のカンタスにはタッチの差で間に合いませんでした。

 昼の長距離便の上がりを撮って、昼飯を食べて引き揚げようかなと思って、空を見ると白い雲が良い感じに浮かんでいました。

 急遽予定変更、着陸を撮りにbランの34降り、格納庫の東側へ急ぎました。

 幸運にもJ社のB747が良いタイミングで2機も撮れました。

 BIZはチャレンジャー、N8888G、どうやら数字から推測するとオーナーは中国人のようです。

 3時過ぎに本日のメインイベント、オムニのハワイチャーター、B767が降りてきて引き揚げました。

 オムニは以前羽田でも見かけましたが朝ついて夜の上がりと撮影条件には恵まれ目せんでした。

 塗装も地味な白い機体から一新されましたが、あまりパッとしませんね。

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 昨日は出かけていたため更新ができませんでした。

 今日は羽田ー>那覇の続き、徳之島です。

 こちらは奄美大島のすぐ南側にあるので通常ルートでは右側に見えます。

 今回は徳之島空港が左側真下に近い位置に見えました。

 カメラをかなり下向きにしないと撮れないので窓の反射が結構写り込んでしまいました。

 奄美諸島の空港は海を背景にきれいな絵が撮れそうですが、トラフィックも少ないし費用対効果を考えると行けずじまいで終わりそうです。

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