飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2010年08月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 最初にIL-76を見た時にはC-141に良く似ているなーという印象でしたが、良く見ると細部はいろいろ違っているようです。

 特に機首の航法士用の張り出し窓はロシア機に独特の装備です。
天気の良い日に一度乗ってみたいですね。

 私はP-2Jの航法士席に乗ったことがありますが、風が強く揺れて下を見ていたら空酔いになった苦い経験があります。小船等で釣りをする時も下ばかり見ていると船酔いすると聞いた事があります。

 昨年のモスクワでは頭隠して尻隠さずのIL-76が2機いました。
GROMOF?社のテストベッド機のようです。

 できれば全景を撮りたかったですね。

 滑走路の反対側、撮影スタンドへ行く途中にはまだ飛べそうな AVIAKON ...の機体や用廃になった空軍機、AEWなども置いてありました。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 昨年モスクワのエアショーへ行ってから早くも1年が過ぎました。

 高い旅費、撮影スタンド料金でしたが、日頃撮れないものが撮れてまあまあでした。

 画像を見返していたら、Tu-134があったので紹介します。

 これらは撮影スタンドへ行く途中の駐車場(エプロン)に置いてありました。

 航空ショーの関係者が乗って来たと思われます。

 モスクワエアショーは来年ありますが果たして行けるか?

イメージ 1

 今日も昔の横田から。

 C-124はC-133、カーゴマスターができるまでは世界最大の輸送機でした。

 その後、ジェットの4発輸送機、C-141が飛び始めると徐々に活躍の場を失い、MATSから州空軍に移管されて姿を消して行きました。

 1960年代は立川、横田でも良く見られましたが、1970年代になるとなかなか見ることができなくなりました。

 レシプロエンジンのあの独特の音は今でも記憶に焼き付いています。

 撮影は1970年頃、横田のタワーの裏側に駐機していたジョージア州空軍のC-124です。

イメージ 1

 今日は昔の写真から、1968年頃の横田で撮影したF-4Jです。

 海軍、海兵隊と言えば厚木でしたが、なぜかWU(VMFA334)とWT(VMFA232)はよく横田へ週末に来ていました。

 この部隊もプエウロ号事件によって急きょ岩国へ派遣されてきたと思われます。

 当時のファントムはB型が主流で日本でみられたJ型はこの部隊が最初だったように記憶しています。

 この頃の外来機はオペレーション前と東側のタワー近くに置かれましたが、36の場合はタワー近く、18の時はオペレーション側に置いてくれると上がりの転がりが撮りやすく嬉しかったですね。

 WUはこの後黒レドームになったり、ファルコンの絵が描かれたりと塗装の変更がありましたが部隊は解散されてしまいました。

 なおWT(デビル)はその後FA-18に機種転換したようですが最近は日本に姿を見せていませんね。

イメージ 1

イメージ 2

 昔の写真を探していたら、私の好きなロシア機が出てきたのでついでにスキャン。

 日本ではほとんど撮れないマニア泣かせがロシア機でした。

 特にTu-134は航続距離が短いため日本へは定期、チャーターでも乗り入れはなかったようです。

 唯一の例外が東ドイツのホーネッカー議長の来日でしょう。
随行機として来日しています。

 私は伊丹空港で目撃していますが、驚いたのはホテル代が高いのか、警備のためか駐機中の機体に泊まり込みしていた事でした。

 何故わかったかというと、ドアーを開けてロープを渡して洗濯物を干していたからでした。

 またTu-134と言えば一度だけ搭乗機会がありました。

 ベルリンの壁崩壊後、シェネフェルト空港へ行くのにアエロフロートでモスクワ経由、モスクワからはTu-134でした。

 夜の便で乗客は少なく、たまたまコックピットから出てきたコーパイに話しかけると英語が通じ、コックピットを見せてもらうことができました。

 上院はパイロット2人にナビ、ラジオの4人編成だったように記憶しています。

 降下中にも席へ戻れと言われなかったので、そのまま立ち席での着陸を初めて経験しました。
たぶん今後も無いでしょうけど、今思えばヒヤヒヤものでした。

 その後しばらくその姿を見ていませんでしたが、昨年はモスクワエアショーで何機か見ることができました。

 Tu-134で印象に残っているのは狭い事と、トイレには天窓がついていた事でしたね。

 チェコは1990年、シェネフェルトで、LOTは1980年頃、ヒースローで撮影しました。

 

↑このページのトップヘ