飛行老人の飛行機話

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2010年05月

 広島空港も今日で最終回です。
 
 夕方6時まで粘ったらIBEXのCRJ-700が撮れました。                                   この機体は成田へ来ていないので私にとっては初見でした。
 
 夕日の赤い照り返しを期待したのですが、黄砂の影響で空が濁ってしまい期待した色合いが出ませんでした。
よって画像を調整してみました。
 
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 今日は207SQですが、撮影場所は築城です。
 
 207SQも後期になると機種改編した部隊からの余剰機が廻ってきましたが、沖縄仕様のグレー塗装にはせずそのままの塗装で使用していた機体もありました。
 
 昔はインターネットもなく、行って見て初めて、当たり、外れがわかるという博打勝負でした。
 
 地元機も飛ばない大外れの時もありましたが、このような移動訓練にあたると嬉しかったものです。
 
 なお明日より3日ほど留守になるので更新は休みます。
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 広島空港に再度行ってみたい理由に東西の滑走路が有ります。
 
 東側のエンドから夕陽を背景に撮ってみたいものです。
今に季節は太陽が滑走路より北側へ寄っているので4月中旬か8月下旬が良さそうです。
 
 しかし紅葉の季節の前にも行ってみたいですね。
それはタキシングや離陸で目線を下げて夕日を背景に入れるとなかなか良さそうな感じになりそうだからです。
 
 こちらの画像が芝生広場のフェンス際からの撮影です。
 
 地元の方に挑戦してほしいですね。
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 今日のマルヨンは205SQです。1970年代の撮影です。
 
 小松の6空団に新編された205SQは赤色のこのようなマークを付けていました。
確か衝撃波をデザインしたように聞きました。
 
 その後6空団にF-4が配備されると6と能登半島をモチーフにした団の統一マークに変更され、マルヨンはインテークに205飛行隊のマークを記入していました。
 
 なお当時はチップタンク無しで飛ぶのは珍しく撮影するチャンスはあまりありませんでした。
 
 この頃から本来の爆撃機迎撃に加えて対戦闘機の訓練が始まっていたようです。
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 今日のマルヨンは岐阜の実験航空団です。
 
 1970年代の後半は良く岐阜基地へ通いました。
 
 当時は基地南側の山の北側斜面に気が生えておらず、基地の中が良く見えました。
 
 滑走路からの距離は意外と遠く、C-1が400mmで丁度いっぱいぐらいでした。
 
 当時にデジカメが有ればと悔やんでも始まりませんが。
 
 通常はチェイスで飛ぶ事が多いマルヨンですが、この時は何故か3機まとめて出て来ました。
 
 最近岐阜へ行く機会はありませんが、この山も登れなくなったとか、残念です。
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