1970年9月27日は三沢航空祭だった。
横田に入り浸りだったが、横田には三沢からファントムが頻繁に外来で来ていたので、航空祭の話を聞きついでに休暇をとって出かけて来た。
  当時の三沢には空自の飛行隊はおらず、北空司令部が有るだけで展示機も201飛行隊のFー104Jとハチロクブルーと寂しいものだった。
 28日は八戸に3飛行隊にいた高校の同級生を訪ね、29日は三沢に戻ってアラートハンガー前のフェンスの角で転がりを撮っていた。その内アラートハンガーの扉が跳ね上がり出て来たのが、WU(VMFAー334)のFー4Jだった。増槽に隠れて良く見えないがAIMー7とAIMー9を4発ずつ装備していた。
 地元三沢のFー4はRFー4CとFー4Dで対空ミッションには適さないので岩国かアラート待機に来ていたらしい。北朝鮮のプエブロ号拿捕事件に対応した処置だったようだ。この時は飛ぶ事は飛んだが虫干し飛行かスクランブルでは無かったようだ。
 横田と違って三沢は当時は辺鄙なところでマニアなんて他におらず、一人で喜んでいたがこのあとまさかの出来事で撮影は中断されてしまった。まあネガは無事に持ち帰る事が出来たので笑い話で済んでしまったが。
 本来アラートハンガーの画像は遠慮するところだが、半世紀前なので公開しても差し支えないだろう。

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