飛行老人の飛行機話

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 今日はその2

 テンプリンを右に見て南下するとミグ29を撮った基地フィノウは真下らしく見えません。

 左側に移動しているとまた飛行場が見えて来ました。こちらは地名が思い出せなかったので帰って調べてみるとヴァーニューチェンでした。

 この基地は航空ファンにミグ29Rの転がりが出ていた基地です。ここだけは是非行きたいと思っていた所でした。
 ベルリン環状道路から北東へ158号線で少し行ったところにヴァーニューチェンの集落があり基地はその東側です。畑道を入って行くと基地のフェンスの東側、南側タクシーウェイの正面に出ます。
写真では上が東です。

 ここからは中の様子がわかるのですが、飛行機の姿は全然見えません。1時間ほど粘っても気配が無く、どうしようかと迷っていると、北の方角からヘリコプターの音がして近づいて来ました。
 眼鏡で確認すると3機のミル6でした。今まで聞いた事の無いグオングオンといった地なりのするような音と、当時としては世界最大のヘリコプターに嬉しかったですね。

 しかし残念な事にはお目当ての機体は撮れませんでした。
後で他の基地で会ったマニアに聞いたところでは、他の基地へ移動したとの事でした。翌年リベンジに成功しましたがその話はまた。

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 今日からは昨年ドイツへ行った時に上空から見えた飛行場で思い出が甦った旧東ドイツ編です。

 成田からフランクフルトへのNH209便は北海からベルリンの北東方面から陸地に入り、ライプチヒ付近で西の方へ向きを変え、フランクフルトへ向かいます。

 最近の飛行機には座席のモニター画面で飛行コース、現在位置がわかり、機体下方の状況も見られます。機内から景色を楽しむには便利になりました。

 今回は北海から陸地にかけて雲がかかっていたので半ばあきらめていたのですが、徐々に雲が切れ始めたので右側非常口窓へ移動すると東西に走る滑走路と南西にのびる誘導路が見えて来ました。
この特徴ある形で、悔しい思いをした旧ソ連空軍テンプリン基地と判断できました。

 今から20年前、1989年11月9日ベルリンの壁が崩壊しました。
その後航空ファン、ヨーロッパの航空雑誌に度々旧東ドイツ空軍、在独ソ連空軍のミグ、スホーイ等が取り上げられるようになりなりました。

 これは是非行かなくてはと強迫観念にとらわれ、1990年10月に行って来ました。
当時は今と違ってインターネットもなく情報は雑誌が頼り、行ってみなければわからないという状態でしたが、なんとかなるだろう精神で敢行しました。

 当時知り合いのTさんがエアバスA300の関係でハンブルクに駐在しており、ハンブルクで合流して土、日曜と一緒に車で東に向かいました。

 その時頼りにしたのが旧東ドイツ版の道路地図とナヴィゲーションチャートでした。
ヨーロッパのドイツをカバーする版には飛行場名と滑走路の向きが記入されており。道路地図と重ね合わせると飛行場の位置がほぼ割り出せます。当時に比べるといまのgoogle mapは雲泥の差がありますね。

 洋の東西を問わず土、日曜日はお休みらしく残念ながら飛んでる姿を見ることは出来ませんでした。
土曜日に訪れた4番目の基地、テンプリンはゲートは見つかったものの、着陸撮影ポイントは残念ながら見つからず次回への宿題として残りました。

 翌年夏に再度チャレンジ、アプローチライトを見つけてそこから見当をつけて人気のない山道しかも砂地を一人で行った時は心細いものでした。それでもガンガン飛んでればウハウハなんですがね。
 着陸ポイントからは基地内の様子は全然見えず音だけが頼りです。

 午前中は音が無く、なんとか着陸してきたAN-22が撮れただけでした。今となっては貴重な画像ですが。
 本当はここで赤い星のSU-17が撮りたかったのですが、結局撮れずじまいに終わってしまいました。
チェコのSU-17は撮る機会があったのですが赤い星が撮りたかった!



 

 

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 諸般の事情により更新が遅れました。
今日は羽田から千歳の最終回です。

 大湊を過ぎると下北半島の北側へ出て津軽海峡の東側の太平洋に出ます。

 1枚目はL2ドアの窓から見たNO1、2エンジンです。これだけでA社、B社のどちらか判るかな?

 2枚目は手前が大畑町、奥の出っ張りがマグロで有名な大間岬です。

 3枚目はいよいよ北海道、手前が恵山と恵山岬、左に函館と函館山が見え、右側には横津岳が見えます。

 この後北風の場合は苫小牧までレーダーで誘導され市街地東側からランウェイ01Rへ下りて行きます。
 
 次回からは新シリーズを予定しています。お楽しみに。

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